10-2 ツルの村

「ねぇ、ハッシュはウズマキのどこが気に入ったの」
「立ち振る舞いと、顔かな」
「あぁいう顔が好きなの?」
「そうだね。あぁいう顔が好きなんだ。ウズマキさんは、特に瞳が綺麗だ」
珍しく、ムムが自分から他者と会話をしている。
レムルスは、ムムが最も性格的に、村へ溶け込みにくいと思っていた。
だが、思わぬ師の社交性を見る事ができ、ほっと胸を撫でおろした。
「ふぅん。ハッシュは趣味が悪いんだね」
「そうかな。自分では面食いのつもりなんだけど」
「ウズマキはね、レムルスが好きなの。でも、レムルスは私が好きなの」
「へぇ。つまり、ムムさんは、何が言いたいんだい」
「ウズマキが好きなハッシュは、一番下にいるってこと」
「初対面の人に、あまりこういう事は言いたく無いのだけど、君は性格に難があるね」
カカカ、とヘチマが高く笑った。
ハッシュは苦笑いをし、肩をすくめた。
気の良い青年であった。
「ハッシュ殿。村長は、どのような方であろうか」
明らかに雲行きがおかしくなった話題を打ち切るために、レムルスがハッシュに問うた。
「レムルスさん。もうすぐ炭坑に着きます。ここまで来れば、説明するより見てもらった方が早いかと」
「ご案内、感謝する」
「村の中で一服できるかと思えば、ぐるっと外回り。なかなか思うようにはいかないねぇ」
広大な村を、恨めしそうにヘチマは見た。
「ヘチマさんは先に村へ入りますか。ご希望であれば宿を紹介しますが」
「いいや。旦那の側にゃ、この、黒樫のヘチマが付いていねぇとな」
「レムルスさんは、みんなに慕われているのですね」
「大きな声じゃ言えねぇが、剛のレムルスって聞けば、そこいらの略奪者らは尻まくって逃げちまうぜ」
「ヘチマ殿。私に、そのような実力はない」
「よく言う。黒曜石の小僧を、構えだけで負かしたってぇのに」
レムルスとヘチマのやり取りを、ハッシュは真剣な眼差しで眺めていた。
「レムルスさんは、ウズマキさんの師、なのですよね。どれだけお強いのか、想像もつきません」
レムルスは、買い被りだと言わんばかりに、首を振った。
「そうこうしている内に、炭坑へ着いたようです。朝、一番最初に穴へと潜り、仕事を終えると、一番最後に出て来るのが、ほら、村長のおツルさんです」

「あらまぁ、ハッシュ、可愛いお嬢ちゃんたちを連れて。飴食べるかい」
「おツルさん。レムルスさんたちは、取引が目的で、この村に来られたそうです。リョウの紹介状をお持ちでした」
「いーい男じゃないか。その剣は、リョウから買ったものだね。こんな格好で恥ずかしいねぇ。飴食べるかい」
おツルは、筋骨隆々とした巨躯を持つ熟女であった。
特に尻が豊満で、ヘチマなどは思わず二度見してしまったほどであった。
互いに自己紹介を終えると、ハッシュが口を開いて真剣な声を出した。
「おツルさん。こちらのウズマキさんは、手合わせをした所、私をはるかに越える武の持ち主でした。レムルスさんは、ウズマキさんの師だそうです」
「こらハッシュ、お前、お嬢さん相手に剣を振るったのかいッ」
「いや、その、振るう間も無く、負けてしまったわけなのですが」
「そういう事を言ってるんじゃない! こんな小さい子に剣を向けるのが、男らしくないって言ってるのだよ!」
「ま、まぁ、その、ごめんなさい」
「あたしじゃなくて、嬢ちゃんに謝りなッ」
「ウズマキさん、申し訳ない」
「おツル殿、気づかいはありがたいが、ハッシュ殿と私の勝負は、れっきとした試合であった」
レムルスが互いの言葉を通訳していた。
「あたしが目的としてるのはね、男であれ、女であれ、あんたみたいな小さな子が戦わなくてすむ村作りなんだよ」
おツルが言い切った。
ヘチマは、なるほど、飴のように甘い、と思った。
「話が逸れましたが、レムルスさんたちに、鉄の採掘にご協力頂けるよう、おツルさんからもお願いして頂けないでしょうか」
ハッシュはツルに睨まれながらも、懸命に状況をレムルスらに説明をした。
炭坑の奥には鉄がある。
だが、死人の巣窟となっており、手が出せない。
死人を一掃するための決死隊を、ハッシュは募っていた。
それに、レムルスらも参加して欲しい、と。
「駄目だ。あの道は、もう開かないよ。人が太刀打ちできる数じゃないんだ」
「おツルさん、気長に構えている時間は無いのです。鉄を手に入れないと、村に未来はありません」
「今掘っている石炭で十分だよ。もう、これ以上、死人の数を増やしたくないんだ。あたしは」
「私一人でも向かう覚悟です」
「聞きたくないね。尻を叩かれたいのかい」
「おツルさん!」
ハッシュは一歩も引かず、ツルに向き合った。
その間に、レムルスが静かに入った。
「ハッシュ殿、おツル殿、私とウズマキの二人に、その役割を、担わせて頂けないだろうか」
「……は? レムルスさんとやら、あたしの話を聞いていなかったのかい。子供は戦わせないし、大人だって死なせたくないんだ」
ゆっくりとレムルスは頷き、足元の石を拾い始めた。
「なンだい。あんたまさか、その石で死人と戦おうっていうのかい」
瞬間、レムルスが土壁に向かって石を投げた。
ドシュ。
その場にいる全員が想像もつかないような轟音を発し、石が土壁に深くめりこんだ。
「そ、そんな、少しぐらい、石を投げるのが上手いからって」
ウズマキが、レムルスに向かって、足元に転がっていた木のツルハシを、勢いよく投げた。
だが、レムルスの手前で、ツルハシは4つに分かれ、落ちた。
ウズマキ以外誰も、レムルスが石の剣を抜いた動きすら、見えなかった。
「おツル殿。私とウズマキは戦士。取引として、目的を達すれば、この村に住まわせてほしい」
本物の戦士を目の前にして、おツルとハッシュは、唾をのむ事しかできなかった。

「レムルスさん、ウズマキさん、ご武運を」
閉鎖していた道を男たちが開き、残るハッシュが頭を下げた。
最後までハッシュは同行を願い出たが、レムルスが拒否をした。
今、レムルスとウズマキの二人だけが、狭い炭坑を奥へ奥へと、身を屈めながら進んでいる。
「マスター、私は驚いた。私も、置いていかれると思ってたから」
「そうか」
レムルスは短く答え、天板の強度を確かめながら、慎重に進んでいく。
「ウズマキ、おツル殿が言っていた、子供が戦わなくても良い村作りとは、甘いと思うか」
「甘い、と思う」
「私もそう思う。だが、おツルどのが言うような村作りに、私も協力したくなったのだ」
「ではなぜ、私を連れてきた」
「そうだ。私はお前が必要だから連れてきてしまった。だから私は間違っている」
二人は無言になった。
しばらくして、ウズマキは、そっと、前を進むレムルスの背に触れた。
「マスター。私が、今どれだけ嬉しいか、分からないだろうな」

10-3 炭坑の朝

「薔薇の一味だってえ!?」
ツルは巨体を飛び上がらせて驚いた。
ハッシュなどは、明かりに照らされた顔が真っ青になっている。
「だから今は『元』、だって言っとるじゃろう。ワシもあの時は驚いたさ。だが、聞けば奴隷上がり。それにしたって、何とも頼りねぇ旦那が雇われたと思った」
炭坑の入り口で、ツルとヘチマらは焚火を囲み、レムルスの帰りを待っていた。
周囲は多くの松明が点在し、灯されていた。
炭が豊富に採れる村だから成せる、死人を避けるための工夫であった。
「で、そこのムム嬢が、剛のヒガグチって乱暴者に襲われた時だ。魂消るじゃねぇか。ワシが精魂込めて作らせた、黒樫の檻を素手でへし折って……」
そのような調子で、ヘチマはレムルスと出会ってからの一部始終を語っていった。
黒曜石のアクアボスに敗北を認めさせたくだりなどは、ハッシュの胸を熱くさせた。
「レムルスさんは、信用してもよろしいのでしょうか」
ヘチマの話を聞き終えた後、ハッシュにとって、それは願望のような思いとなっていた。
「元、とはいえ、ワシもレムルスの旦那も略奪者じゃ。この世のどこに、手放しで信用してくれる奴がおるじゃろうて」
だからして、彼とウズマキは、穴に潜っていったのであろう、と言わんばかりに、ヘチマは炭坑の入り口に向かって、ゆっくり石を投げた。
「私は恥ずかしい。穴があったら入りたいと思う。今が正に、その時であろうか」
ハッシュは剣を握り、やはりレムルスを追いかけるべく立ち上がろうとしたが、ツルに制された。
「やめな」
「聞けばレムルスほどの善良な戦士が、村のために命を賭けてくれているのです。村の人間である僕が、何もしないわけには」
「じいさんの話が本当かどうかも分からないだろう。それを戦士が、身をもって証明しようって言うんだ。汲もうじゃないか」
「しかし」
「しかしも案山子もありゃあしないよ。取引はもう成立してる。レムルスさんとウズマキちゃんが、鉄の鉱脈まで辿り着けようが、着けまいが、あたしたちは、暖かい汁の一つも用意して待ってるのが、筋ってもんだ」
「そろそろ煮えたよぉ」
緊迫した空気の中、汁作りを担当していたペロが、のんびりと発言した。
「おぉ、いい匂いじゃないか。ペロちゃん悪いねぇ、偉そうな事言っといて、あんた一人に任せちまって」
「ううん。たくさんのお野菜をもらったから、ペロも働かないと」
「いい子だね。ペロちゃんみたいないい子が懐いてるんだから、レムルスさんも悪い人では無いのだろうけど」
ハッシュ同様、ツルもレムルスを信用したかった。
しかし、村長である以上、慎重にならざるを得なかった。
「どうしたの、ムム、食べないの」
「レムルス、かわいそう」
囁くような声で、ムムが呟いた。
「かわいそう、ってのは、どういう了見じゃ」
戦士の誇りを傷つけるようなムムの言葉に、ヘチマが眉をしかめた。
「だって、レムルスは、もう剣を振りたくないのに」
ツルとハッシュはヘチマを見た。
「あぁ。旦那は、確かに、そういう所があるかもしれん。しかし、あれだけ腕を磨いた剣じゃ。捨てようにも捨てられまい」
「レムルスは、私と、靴や手袋を作って、暮らしたいだけ」
本人の居ない前で、ムムは言い切った。
静かな少女の主張に、ヘチマはそれ以上反論をしなかった。
「そろそろ、夜が明けそうですね。それにしても、このスープは美味い」
重苦しくなった空気の中、ハッシュが空を見上げた。
平原の水平線に、曙色が浮かび上がっていた。
それとなく、全員が炭坑の入り口に視線を向けると、二人が立っていた。
「レムルス、ウズマキ、おかえりぃ」
ペロが満面の笑みを浮かべ迎えたが、直後、緊張に強張った。
ウズマキは、手に鉄の鉱石を。
レムルスは、小柄な男の死体を背負っていた。

ツルの夫は、幼馴染だった。
皆が、屈強で、優しく、道を示してくれるツルを頼った。
「大丈夫かい。大丈夫かい。辛くなったら、いつでも逃げて、二人で暮らそうよ」
夫は、いつも口癖のように、ツルを心配していた。
子は生まれなかったが、ツルは幸福だった。
他の家庭で生まれてくる子供たちにも、自分が夫から与えてもらったように、逃げる場所を作ってあげたいだけだった。
「大丈夫だよ。炭坑の道に詳しい俺がみんなを案内しないと。危なくなったら、すぐに逃げるから」
後悔していた。
夫を行かせるべきではなかった。
鉄のために、村のために、決断するべきではなかった。
夫は、皆を逃がすために、最後まで一人、死人を引き付けていたと聞いた。

「あんたァ!」
ツルは、レムルスが背負った死体に抱き着き、頬ずりをし、むせび泣いた。
比較的身体の新しい死人は、なるべく顔を傷つけないようにと、ウズマキはレムルスから命じられていた。
「あんたァ、おぉぉぉぉおおお、あんたァ、あんたァ!」
夜明けの平原に、ツルの慟哭だけが、長く、遠く、響き渡っていった。

11-1 朝の習慣

夜が明ける前に、男は目を覚ました。
枯草の上に布を敷いたベッドは、深い眠りへと誘ってくれるものの、まだ慣れる事はできない。
身体を起こし、部屋の片隅に置かれた水瓶で、顔を洗う。
干した布で顔を拭く。
机に置いた目の粗い麻布の服と、黒い仮面を手にし、身に着ける。
男は小考する。
その後、僅かに首を振り、石の剣を持ち、足音を立てぬよう外に出る。
振り返ると、同じ寸法で建てられた家が連なっていた。
建物の周囲は、松明が等間隔で配置され、煌々と照らされている。
誰かが起きている気配は無い。
皆、日々を懸命に生きているからであった。
レムルスは石の剣を腰に差し、静かに、だが、狼をも圧倒する速度で駆けていった。

教会の裏には、荒涼とした墓地が広がっていた。
辿り着いたレムルスは、石の剣を抜き、呼吸を即座に整えた。
一度、二度、三度、剣を振る。
それが百を超え、二百を超えても、次の一振りは、前の一振りを越えんばかりの気迫で、振り続けた。
千を数えた後、レムルスは石の剣を流れるような動作で腰に収め、振り返り、一礼をした。
「おはようございます。レムルスさん。お茶でもいかがですか」
レムルスに声をかけた女は、茶色の教衣に身を包んだ聖職者であった。

村の離れで一人教会を仕切る女は、やや視線を下に向けながら、姿勢良く茶を飲んでいた。
「シスター殿、いつも場所をお借りして、かたじけない」
レムルスは用意された茶を一口すすり、改めて礼を述べた。
「レムルスさんのおかげで、死者がこの辺りに迷い込む事も、随分と減りました」
「いえ」
レムルスは否定したが、教会の周辺は松明の配置が満足に整備されていない。
彼が来るまで、彼女は随分と夜を越えるために苦労をしていた。
「村の生活には慣れましたか」
「おかげ様で、十分な暮らしをしております」
「では、ささやかではございますが、こちらをその足しにしてくださいませ」
聖職者は布の包みを、レムルスに差し出した。
中には、村の通貨となるエメラルドの欠片が、数個入っていた。
「受け取れません」
「私からではありません。ツルさんからです」
「ツル殿から」
「はい。ツルさんは、鉄採掘の功労者であるレムルスさんに、満足な御礼ができていない事を、常に悔やんでおられます」
「とんでもない事です。ツル殿より村に住む許可を頂いただけではなく、家を数件頂戴いたしました」
ツルは、夫の遺体を持ち帰ってくれたレムルスに、それ以上の謝礼をしたかったが、貧しい人々を決して見捨てない村長の台所事情は、相当に苦しかった。
「育ち盛りの女の子を三人も養っていらっしゃるのです。ツルさんのお気持ちを、どうぞ受け取って頂けますよう」
「かたじけない」
レムルスは、エメラルドが入った布を丁重に受け取った。
価値としては、五人の食事三日分程度の重さであったが、決して粗末に扱えるものではなかった。
「とはいえ、子供たちは皆しっかりとしております。何より、一人は私の師でもありますゆえ」
「あら、詳しくお話をお聞きしたいですが、そろそろ朝ごはんのお時間でしょう」
「はい。また別の機会に」
レムルスは茶を飲み干し、席を立った。

「レムルス、おかえりぃ。ご飯だよぉ」
既に朝食の準備を整えたペロが、家の前でレムルスの帰りを待っていた。
その身体には、泥も塗られておらず、着ているのは葉ではなく麻布の服であった。
「ありがとう、ペロ」
ペロを伴い、レムルスが生活する家の、向かって左隣に入る。
そこは、ペロとウズマキとムムにあてがわれた家だった。
「おはよう、旦那」
右隣りに住むヘチマは、既に食卓の席へとついていた。
「今日も朝から精が出るねぇ」
若いシスターの事を見知っているヘチマの声は、やや下世話であった。
「まったくだ。毎朝他の女の所に足を運ばれる、私の身にもなってほしい」
不満を隠そうともせず、麻布の服を来たウズマキが、大きなため息を吐いた。
「ウズマキ、我慢じゃ。もうしばらく、大人になるまではな」
「ヘチマ殿が教えてくれたように、大人の男には、大人の女が必要なのは分かる。だが、私はいつまで待てば、マスターに大人として扱ってもらえるのだろうか」
「そりゃ、まァ、胸がシスターほど、膨らんだ頃じゃねぇのかい」
「なッ、ななッ、あんなカボチャのような胸になるまで、待たねばならないのかッ」
ウズマキは、服の首元を前に引っ張り、自分の胸を直視し、絶望した。
「ウズマキ、ヘチマ殿、私とシスターは、二人が思っているような事など、何もない。ただ場所を借りているだけだ」
レムルスは、淡々と二人を窘めた。
「だったら、私も連れていってくれればいいのに」
「大人数で騒いでも良い場所ではないのだ。それに、子供は十分に睡眠をとらなければならない」
同行できない理由より、子供扱いされた事に、ウズマキは口を尖らせた。
「うぅー、うるさいなぁ」
ようやく起きてきたムムが、ボサボサの長い髪をそのままに、ブカブカの服を来て、食卓に座った。
「ペロ、ごはん」
「はーい。今日はお野菜と、芋のスープだよぉ」
「えー、卵か肉は無いの」
「ペロ、私も肉がほしい」
ウズマキとムムが、同時に主張した。
「ごめんねぇ。肉は夜の分しかないの」
「マスター、今日は二人で狩りに出かけないか」
「ウズマキ、言ったろう。狩りは狩りを職としている者に任せる。我々は、我々の成すべき事をして、肉や野菜を贖わねばならないのだ」
「難しい。村の生活は、外の生活より、随分と難しいのだな」
「これも修行の内と思え」
レムルスにそう言い切られると、何も反論できないウズマキであった。
その隙にムムは、レムルスの野菜とスープを半分、自分の器に移していた。
「いつもごめんねぇ、レムルス。少しだけなら、おかわりあるからね」
「私は大丈夫だ。おかわりの分はウズマキとペロ、二人で分けなさい」
「修行の内、修行の内」
囁くようなムムの呟きに、真剣に頷くレムルスがおかしくて、ペロはつい噴き出してしまった。

11-2 それぞれの役割

「マスター、行ってくる。ムムとペロを頼む」
「ワシもそろそろ出ようかの」
「ウズマキ、ヘチマさん。はい、お弁当」
「ペロちゃん、いつもありがとさん」
ヘチマは、小さな包みを受け取り、ペロに笑いかけた。
好々爺が孫に向けるような、含みの無い笑顔。
ヘチマの長い人生において、ペロたちと出会うまでは他に見せた事のない表情だった。
ペロの性格が素直だからか。
あるいは、村人らから求められるがままに、樫の木を見立てている今の日々がヘチマにそうさせているのか。
それは、ヘチマ自身にも、分からなかった。
「すまんね。ワシは旦那を手伝いたいのじゃが」
レムルスは、僅かに口元を綻ばせながら、首を振った。
「ウズマキ、今日のお弁当、干し肉を入れたからねぇ」
ペロはウズマキの耳元に顔を近づけ、小声で言った。
「ペロッ……!」
真に迫った声と表情で、ウズマキはペロを引き寄せるようにして、抱きしめた。

ウズマキとヘチマが出かけた後。
ペロがムムの髪をといている間に、レムルスは5人分の食器を片付けた。
「レムルス、ペロのお仕事なのに、いつも手伝ってくれてありがとう」
レムルスは小さく首を振った。
毎日聞いても、決してぞんざいになる事が無いペロの「ありがとう」は、レムルスに尊敬の念を抱かせていた。
「ペロ、師匠の身支度が終わったら、こちらに来なさい。渡したいものがある」
「えぇ、私に?」
「贈り物だったら、私も欲しい」
「レムルスは誰か一人を特別扱いしないよぉ」
「じゃあ、贈り物じゃないね。なんだろう」
「なんだろうねぇ。楽しみだねぇ」
「いいものだったら、半分ちょうだい」
「うん。いいよぉ」
ペロと師の会話を聞きながら、食卓の机を綺麗に拭き、レムルスは椅子に腰かけた。
少し間を置いて、ペロがレムルスの前の席に座った。
当然のように、ムムがレムルスの隣に座った。
「今日の朝。シスターを通じてツル殿から、鉄採掘の謝礼を受け取った。ペロに管理を任せたい」
「うわッ。いいものだ」
ムムが口を三角にして、机の上に置かれた布の中身を見て驚いた。
「えッ、えッ、ええ? エメラルドをこんなに、なぜペロが? みんなで分けるとかじゃなくて?」
ペロが率直な疑問をレムルスにぶつけた。
「家庭でも、戦場でも、食費の管理は、最も信頼できる人間に任せたい」
「うぅ……ペロにできるかなぁ。でも、レムルスがそう言うのなら、やってみるねぇ」
満面の笑顔で、ペロはエメラルドが入った包みを受け取った。
ペロはレムルスの期待に応えたかったし、何より、皆のために日々の食事を工夫できる選択肢が増えた事が、嬉しかった。
「二十日市が来るまで苦労をかけるが、よろしく頼む」
淡々としているが、レムルスの真面目な願いに、ムムは冗談でも「半分ちょうだい」とは言わなかった。

二十日市とは、文字通り二十日に一度開かれる村の市場だった。
ツルの村では、物品を日々取引しても良い店を開くためには、二十日市で出品をし、村人らより一定数以上の許可札を集める必要があった。
ツル自身は、革職人自体が村で不足していたし、鉄採掘の功労者を特別扱いしたかったが、レムルスは固辞した。
法や文化の習慣は、守るべきものであった。
また、村に五人を認めてもらうためには、良い機会であるとも思っていた。
「……と、私は考えているのですが、師匠はいかがでしょう」
「千人分の革靴を作るのかぁ」
「いえ、店を開くのに必要な札は二十枚となります。取引後、買った者が満足をする出来だと認められれば、札を受けとれる事になっておりますので、師匠の腕であれば四十も作ればよろしいかと」
「材料はどうするの?」
「既に居た村の革職人は皆、鉄装備の制作に回ったそうです。現在、村に革の材料は十分に余っているらしく、今日までに作った草靴を担保の一部として、前借の形で話を進めています」
「レムルスは、草靴屋の方がよかったんじゃない? 皮靴作れないし」
「師匠に皮靴を作って頂いている間、私は草靴を編み続けます。いつか私が、師匠が納得して頂けるような草靴を編めた時には、皮靴の作り方を教えて頂けないかと」
「ふむ」
もっともらしく、考えこむような素振りを見せた後、ムムは口だけで微笑んだ。
「今日は口数が多いね、レムルス」
「はッ。面目ございません」
「ううん。それだけやりたい事なんだって、分かったの。だからいいよ。やろう」
「ありがとうございます」
「レムルス」
やや、間を置いて、ムムは囁くように呟いた。
「居なくならないでね」
ムムの切なる願いであった。
「あ、師匠。申し訳ございません。もちろんすぐというわけではございませんが、折を見て古巣の薔薇へ一度戻るつもりです」
「へ?」
「鳥を飛ばすという手段もございますが、一味を抜ける以上、直接足を運び、話をする必要がありますゆえ」
「………………」
直後、ムムは家出をした。
少女を探すために、レムルスは、戦闘訓練に従事していたウズマキとハッシュらの力を借りてしまう事となってしまった。