07-01 黒樫の檻

アリウムの一味にレムルスが草鞋を脱いでから、季節が一つ変わろうとしていた。
レムルスと少女が来て初めての物市が、間近に迫っていた。
「首領も人使いが荒い事でなァ」
ヘチマは干した良質な若草を、さらに良いものと、そうでないものとに分別をしていた。
「こんなモンで、どうござんしょう」
ヘチマは、面倒な作業を早く終わらせたくて、ざっくりと分けたものを少女に差し出して見せた。
「…………」
少女はそっぽを向いた。
「荒ぇのは、何も首領だけじゃねぇか。分かりましたよ、と」
本来であれば、草の仕分けはレムルスの担当であった。
だが、彼は今、少女の目に適う若草を摘みに、外へと出ていた。
最近はレムルスも、ようやく一つ、二つと、少女がバラしたり仕上げをしたりせずに済む出来の、草手袋を編めるようになっていた。
少女の助手をレムルスが、レムルスの助手をヘチマが担うといった、流れ作業になりつつあった。
以前ヘチマが口を滑らせたように、レムルスが編んだものは、物市に出せる出来では無かった。
しかし、一味のものに希望者がいれば、配られていた。
ヘチマが今履いている草靴も、レムルスが編んだものであった。
「ッたく。誰が雇ったんじゃか、誰が奴隷なんじゃか、分かったもんじゃありゃぁしねぇよ」
口で毒づくほど、なぜかヘチマは、不機嫌で無かった。

乱暴に、階段を上がる音が聞こえた。
「不味いな。首領も今外か」
ヘチマは嫌な予感がした。
その重い足音は、ヘチマが予想をした通り「剛のヒガクチ」であった。
「ヘチマ。女の靴、一つ寄越せ」
ヒガクチが、ヘチマと少女の居る最上階へ顔を出したと同時に、傲然と要求を突きつけてきた。
「剛の。首領の許可は取ってるんだろうね?」
「首領には言うな」
やはり面倒くさい事になった、と、ヘチマは心の中で毒づいた。
少女の編んだ草靴と草手袋は、首領の分を除いては、全て物市へ出すこととなっている。
それはヘチマも、念を押して首領より命令を受けていた。
「それだけの量がある。一つぐらい俺がもらっても、バレるわけが無い」
「簡単に言わねぇでくれ」
バレるに決まっている。それほど、少女が作った草靴は別格なのだ。
ヘチマ個人としては、何をするか分からないヒガクチに一つぐらい、くれてやりたいぐらいだった。
しかし、後で首領に知られた時、咎められるのは、間違いなくヘチマであった。
「堪忍しておくれよ。ワシが首領に言わんでも、お前さんが履いてりゃ、すぐバレる」
「どれも小さいな。一番でかいのはどれだ。あぁ、もういい。女、今すぐ編め」
少女はヒガグチの足音が聞こえた時から、既に檻の隅で、背中を向けて座っていた。
やれやれ、ろくに会話をしようともしない奴を2人相手に、どう切り抜けるか、ヘチマは思案した。
「おい、鍵よこせ」
絶望的であった。
ヒガグチは、少女に力づくで、自分の草靴を編ませようと考えているらしい。
この馬鹿は学ばないのか。
ヘチマは鍵を外に投げてしまおうか、悩んだ。
「後生じゃよ、剛の。せめて物市が終わってからにしてくれまいか……あぁッ!」
ヒガグチは、ヘチマが予想していたよりもよほど素早く動き、ヘチマが尻の下に隠していた鍵を奪い取った。
そしてヒガグチは、鍵を開け、少女の檻へと入り、内側から鍵を閉めた。
「剛の!! いい加減にしねぇか!」
檻を揺すって非難するヘチマを無視して、既にヒガグチは、少女の髪を掴み、頬を叩き始めていた。
少女を口で説得しようとすらしない分、一応学んではいたのか、と、ヘチマは苦虫を嚙み潰した。
「あぁ、あぁああ……剛の、やめとくれ、剛の…………」
ヘチマは、無抵抗の少女が、ヒガグチのなすがままになっているのを、見ているだけしかできなかった。
バキン!
ヘチマは度肝を抜かれた。
いつの間にか外から戻ったレムルスが、黒樫の檻を、腕力だけでへし折ったのだ。
「な、なんだ、奴隷上がり……ンアァッ!?」
ボキン。
ヒガグチの太い腕の骨が折れる音と、ヒガグチの悲鳴が、同時だった。
「ンガァン!」
怒りと痛みに任せ、自分の骨を折った男を叩き潰そうと、振り上げたもう片方の腕も、レムルスに難なく折られた。
「ひぎぃ! ひぎぃぃぃ!!」
女のように泣きながらヒガグチは、身体をこれでもかと縮めて、下の階へと逃げ去っていった。
「あぁ、良かった。良かったよぅ。レムルスの旦那。クソガキ様は、ちゃんと息をしていなさるわ」
少女を楽な姿勢にさせ、介抱しているレムルスに、ヘチマは声をかけた。
レムルスは少女から視線を外さず、頷いたが、それは心底少女を心配してのものであった。
一方ヘチマは、少女が生きていて、自分が首領から咎を受けないで済んだ事だけを、安堵した。

07-02 物市

物市の成果は上々だった。
首領にとって、予想をはるかに超える利益が上がったようだ。
その成果はほとんど、少女が生み出したものと言えた。
「金のリンゴを産む苗木だと、分かっていたのは俺だけだったな」
塔の最上階で、首領は高級な茶をすすり、満足そうに呟いた。
「ふぅ。ふぅ。おぉ、あちち」
ヘチマも相伴に預かっている。
「ふふふ。夜は上等な酒が待っているぞ。楽しみにしておれ」
上機嫌な首領は、一味に特別手当を支給した。
しかし、その金も、首領から物品を贖うために使うのだから、結局首領の懐に入る金であった。
少女はレムルスが居ない時は、たいてい背を向けて牢の隅に座っていた。
「レムルスの旦那はいかがでしたか?」
「剛のレムルスか」
レムルスに打ち倒されたヒガグチは、その日のうちに、首領から一味を追放された。
代わりにレムルスが、「剛の」呼び名を一味から受ける事となった。
ヒガグチの両腕だけではなく、ヘチマが選んだ黒樫の檻を素手でへし折ったと聞けば、異を唱える者など誰一人としていなかった。
「物市じゃ、一騎打ちの催しもあったんでがしょう? レムルスの旦那は活躍なさったんで?」
「いや、全く、その機会は無かった」
ほぅ。とヘチマは不思議に思った。
「相手が皆、レムルスとの戦いを避けよった。まぁ、損害が生まれなかっただけ、良かったとしておこう」
首領曰く、薔薇の一味で、剛のヒガグチを相手にもしなかったという情報が、他の一味にも知れ渡っていたからであろう、と。
「剛のレムルス、良い名ですなァ。したっけ、ガキ様の面倒見役としてだけでも、安い買い物で」
「あぁ。薔薇の一味に、契約を延ばす伝令を送ったよ。剛のレムルスは、もうしばらく、ウチが抱えさせてもらう」
「重畳なことで」
ヘチマはほッとした。
温厚なレムルスと過ごす日々は、ヘチマにとっても穏やかな気持ちが芽生え始めていた。
「とはいえ、首領。今一つ、不安が」
「なんだ?」
ヘチマは、ここ最近になって生まれた懸念を口に出した。
「レムルスの旦那は、あんな細身のどこに隠していたのか、とびきりに強い。それはもう十分に分かりやした」
ヘチマは、レムルスに破壊された黒樫の檻を眺めた。
へし折れた箇所は、既に修復されている。
「すると、レムルスの旦那が、あのクソガキ様を逃がしちまうんじゃないかって、心配をしやしてね」
レムルスであれば、十分に可能だと思われた。
素手ですら、あの有様だったのだ。
剣を一本与えてしまえば、昼間でも堂々とやってのけるだろう。
もしそうなれば、やはり咎めを受けるのは、ヘチマであった。
「心配いらんよ」
「おぉ、その理由を、この老木に」
「もし、レムルスが裏切るか、あるいは役に立たなければ、薔薇の一味がレムルスを罰する契約になっている」
「ほぅ。それは、それは」
ヘチマは安堵した。
ただ、レムルスの境遇を気の毒にも思った。
流石の彼も、裏切りはともかく、失敗しただけで、おそらく同じほどの強さを持つのであろう、薔薇の一味から追われるとは。
「…………」
ふと、ヘチマは少女の背中を見た。
小さな背中だった。
首領と自分が交わした会話の内容を、理解しているのか、していないのか。
ここ最近、少女は略奪者が使う言葉を理解しつつあるように思える。
ただ、会話の内容を知られた所で、少女にとっては、境遇を受け入れる理由が、一つ増えるだけであろう。
「………………」
「おい、どうした?」
「えぇ? あぁ、すいやせん。歳をとると、ついぼんやりする事が多くなっちまいましてねぇ」
「頼むぞヘチマ」
「へぇ、へぇ……」
ヘチマは、ぬるくなった甘い茶を、一息に飲み干した。

07-03 師の命

二度目の物市が終わった翌日。
夏の盛りでひどく蒸し暑いからか、レムルスがアリウムの一味を去る日であったからか。
その日だけは、レムルスと少女とヘチマ、三人とも、何も仕事を命じられなかった。
だが、ヘチマは不機嫌を隠そうもしなかった。
最後の昼食を採りながら、三人は無言だった。
レムルスが去る理由は、薔薇の一味がレムルスの賃金を値上げした事が原因であった。
それは、首領が到底受け入れられない額であった。
「旦那、次はどちらに行かれるんで?」
ようやく口を開いたヘチマに、レムルスは首を振って応えた。
次の雇われ先は決まっていないようだった。
「それなら、少しはのんびりできらぁなァ……」
正直、ヘチマは寂しかった。
レムルスと少女と、物作りに携わってきた日々は、ヘチマにとって、決して無為ではなかった。
少女とレムルスの2人であれば猶更だ、と、ヘチマは疑ってさえいなかった。
すると、レムルスが、少女と一時、二人きりで話をしたいと言ってきた。
「…………」
何も言わず、ヘチマは重い腰を上げた。
ふと、ヘチマはレムルスの剣に視線を向けた。
もう楽しみも無かろうて、それも良いか。
たとえ何が起ころうとも、全てを受け入れる覚悟をして、老人は下の階へと降りていった。

部屋には、レムルスと少女の、2人きりとなった。
食事中も少女は牢の片隅で、レムルスに背を向けたままだった。
今は横になっており、眠っているようにも見える。
「師匠。お世話になりました。ところで、もしよければ、私と一緒にここを出ませんか?」
まるで散歩に誘うが如く、レムルスが少女に語りかけた。
少女は飛び起き、レムルスに駆け寄って、黒樫の檻を手で掴み、レムルスの瞳を見つめた。
「…………」
「…………」
2人は視線で語り合っていた。少女は本気? と、問うた。
レムルスは本気だと、頷いた。
少女は、しばらくレムルスの瞳を見つめた後、うつむいた。
「無理」
囁くような特徴のある、声だった。
拒否をされたレムルスであったが、瞳は動かなかった。
「だって、レムルス、ヘチマみたいに、ご飯、作れない」
途切れ途切れだが、しっかりと理解できる、略奪者の言語を少女は喋った。
「努力します。それに、ヘチマ殿も、連れて行くつもりです」
レムルスは、少女の言語で答えた。
「嫌。行くのなら、一人で行って。私を巻き込まないで」
レムルスの瞳が動いた。
少女を連れ出し、アリウムの一味を裏切れば、薔薇から追われる事を、少女は知っていたのだろうか。
それならば、と、レムルスは、少女の言わん事を理解たつもりとなって、諦めた。
だがそれは、少女が口には出せぬ想いの、半分のみであった。
「レムルス、一つだけ、お願い、聞いて」
「はい。師匠の命であれば、どのような事でも」
少女は、密かに編んだ草紐と紙を取り出し、レムルスへと渡した。
私の仲間に、ウズマキとペロという名の少女がいる。
少女は淡々と、囁くように、そう言って、紙に炭で記した拠点の場所を、指さした。
「二人に草紐を渡して。私、死んだと、伝えてほしい」
受け難い指示に、うつむいたレムルスへ、少女は初めて笑った。
「師匠からの、命令、だよ」
レムルスは去り際、師の名を尋ねた。
長い髪の少女は、ムムと言った。