06-01 黒樫のヘチマ

アリウムの旗を掲げる略奪者の一味に、「黒樫のヘチマ」と呼ばれる年老いた男がいた。
名に恥じず、良質な黒樫の木を見立てる力を持つ男であったが、争いに参加できぬほど老いているため、一味の中では冷遇をされていた。
ヘチマは普段、アリウムの一味が拠点としている塔の清掃と給仕係を担当していた。
ある日、新しい奴隷の少女を一人、世話をするように首領より命令をされた。
それ自体は珍しい事では無かったのだが、驚いたのは、拠点としている塔の最上階に、少女を閉じ込めるための檻を作れと言うのだ。

「わざわざ上の階に新しい檻を作れとは、どこぞのお嬢様かのぅ」
「いや、俺は一目見たが、蛮族のガキだ。ヘチマのとっつぁん、ここらの木でいいかい?」
「駄目じゃ。その黒樫は虫に食われとる。あっちと、うむ、あっちを切り倒しておくれ」
「じじいめ。こういう時だけ偉そうにしやがる。触りもせずに分かるもんかよ」
「分かる。じゃからして、こっちの『黒樫』は、まだ切り落とされとらん」
ヘチマは、自分の細くしわがれた首を、ポン、ポンと叩いた。
「カカカ。言えてらぁな」
ヘチマは若い略奪者らにあれこれ指示をして、良質な黒樫の木を切り倒し、材料へと切り分け、塔の最上階に運ばせた。
「黒樫の。組みあがったぜ」
若い略奪者が3人がかりで、木の牢を組み上げた。
手伝いをした若い略奪者たちは皆、皮を剥いた黒樫の質に驚いていた。
ヘチマにかける声の中には、かすかに敬意があった。
どうせ今だけじゃろうて。
ヘチマは心の中で毒づいた。
「こりゃぁ、立派だ。俺らぁの寝床よりええわな」
「違いねぇ」
大げさでは無く、若い略奪者らの言葉通りであった。奴隷の少女一人にはもったいない、新しく清潔な牢であった。

「ほぅら、お嬢ちゃん。今日からここが、お前さんのねぐらじゃよ」
明るく、すり寄った声で、ヘチマは少女に声をかけた。
そうで無くては、息苦しくてならなかった。
塔の最上階まで、少女を連れて来た男は「剛のヒガクチ」と呼ばれる、一味で最も力が強い男だった。
口よりもすぐに手を出す乱暴者。
その上加減を知らないから、ひどく奴隷や仲間を傷つけていた。
「首領からの命令だ。この女を必ず逃がすな。殺すな」
お前が言うかね、と、ヘチマは心の中で毒づいた。
「…………」
少女はずっと黙ったままであった。
陰気そうな少女だった。
「ヒガクチ、この子の縄をほどいてやってくれんかの。誰が結んだのか知らんが、結び目がきつすぎる。これではろくに呼吸もできんじゃろうて」
「グハハ。俺が結んだ」
この馬鹿は、皮肉も分からんのか。
とはいえヒガグチを刺激せぬよう、ヘチマは愛想よく努めた。
「ほれ、ほれ、剛力のお前さんしか、この結び目はほどけんて」
「分かった、分かった」
ヒガクチが乱暴に少女の縄を解くと、少女は大きく息を吸い込み、ヒガグチの顔に唾を吐きかけた。
「ガァアアア!!」
逡巡する事なく、ヒガグチの手が、少女の小さな顔を張った。
少女は吹き飛び、黒樫の檻に頭をぶつけ、気絶した。
「こりゃ、死んだかのぅ」
ヘチマは眉をひそめた。
「ち、違う。俺は悪くない。ちゃんと加減して殴った」
「加減なぁ」
少女の頭からは血が流れている。
「へ、ヘチマ。ガキを絶対に殺すな! 首領には言うなッ。わ、分かったな!」
ヒガグチは大きな身体を精一杯屈めて、その場を後にしていった。
注文が多いことで。
ヘチマは小声で毒づきながら、薬を取りに行く前に、気絶した少女がぶつかった檻の場所を確かめた。
「さすがワシが選んだ黒樫じゃ。びくりともしとらんわい」

06-02 薔薇の一味

黒樫のヘチマにとって、奴隷少女の世話は、毒づく暇が無いものであった。
首領は、この少女に靴や手袋を作らせるよう、良質な材料を用意したが、少女はそれらを目前にしても、全く手を出そうとしない。
陰気で頑固な少女だった。
どれだけ若い男たちが怒鳴りちらしても、時には身体を鞭で打っても、うめき声一つ上げなかった。
「お嬢ちゃん。物を言わんのか、言えんのかワシは知らんが。せめて飯の礼ぐらいは、するもんじゃないかのぅ」
牢に入ってから、何一つ言葉を発することの無い少女であったが、食事だけは、毎日しっかり大人顔負けの量をたいらげていた。
「飯食って、怒鳴られて、寝て。飯食って、怒鳴られて、寝て。鞭を打たれて」
食器を片付けながら、独り言のように、ヘチマは毒づいた。
「お嬢ちゃんなんぞに、たいしたもんが作れるとは思えんが、せめて言う事を聞いていれば、鞭で打たれることは無いじゃろうて」
少女の食事は、ヘチマなどが食べるものより、よほど上等な肉や山菜や芋だった。
「あぁ、お嬢ちゃんの背中に塗る薬が切れてしまいそうだ」
ヘチマは、若い男たちを呼ぶために、木の板を3回叩いた。
階段を上り、若い男が面倒臭そうに顔を出した。
「なンだい、じぃさん。先に言っとくが、ガキのおかわりは無いぜ」
最初のうちは、少女が食器を差し出すままに、食事の追加を供給していたが、もう今では毎日最低限度の量しか与えていなかった。
「塗り薬が切れそうじゃ。薬草を摘んできてくれんかのぅ」
「面倒くせぇなぁ。そうだ、昨日からウチに来た、客人にやってもらうかな」
「客人とな?」
「あぁ、物市場の日も近いだろう。首領が薔薇の一味を雇ったんだ」
「薔薇の……!?」
薔薇の一味の名は、年老いたヘチマをして、背筋が凍る思いにさせた。
薔薇の一味とは、戦闘に極めて秀でた、略奪者の一党であった。
海の孤島を拠点として、剣や弓の腕を鍛え続け、他の一味に傭兵を派遣し、生計を立てていると聞いていた。
近隣で薔薇の一味を見た事は無く、遠い場所のおとぎ話ではないかと、ヘチマは思っていたほどだった。
「おめぇ、馬鹿を言っちゃいけねぇ。薔薇の一味に雑用をやらせるなんて、命がいくつあっても足りねぇぞ」
「それがな、もともと奴隷だった奴らしい。図体はでかいが、線が細ぇからなぁ。まともに剣が触れるのかどうかも、怪しいもんだ」
「したって、おめぇ……」
「だいたい、ウチがそんな一流の剣士を野う金があるのかって話よ。薔薇の一味だぜ?」
「眉唾か…………まぁ、言えてるわな」
「首領の無駄使いにならねぇといいけどな。物市場にしたって、ウチには剛のヒガクチがいるってぇのにねぇ」
季節の変わり目に一度、物市場という、近隣の略奪者一味が集まり、取引をする市が開かれる。
その場では、もめ事や、重要な取引は、代表の戦士を出して戦い、その結果で収めることが通例となっていた。
「その、薔薇の人は、下に居るのかい?」
「あぁ、すぐ下の階だ。やることが無いってぇから、ムシロを編んでいる。そっちは意外と器用だぜ。少なくても俺よりな」
剣なら、むしろ自分の方が強いと言わんばかりに、若い略奪者は反り返って笑った。
「働かないが大男並みに飯を食うガキと、ムシロを編む奴隷上がりの剣士ねぇ……」
ウチの一味も多種多様になったものだ、と、ヘチマは心の中で毒づいた。

その日から、ヘチマの雑用は、その奴隷上がりの剣士が請け負うこととなった。
黒い仮面の剣士は、名をレムルスと言った。
「レムルスの旦那も、変わり者じゃのぅ」
どんな雑用でも、レムルスはヘチマの言う事に従った。
それでいて、へりくだった風も無く、かといって、老人のヘチマごときに、と、他の若い者のような嘲る様子も無い。
淡々と物事をこなす男であった。
「剣士なんじゃから、素振りの一つもしてりゃぁよかろうに」
ヘチマの言葉は、嫌味ではなかった。
もし本当に少しは実力があるのだとしたら、素振りの一つもすれば、周りも見直すのではないか。
いつも若い者らに見下されているレムルスを、ヘチマは素直に思いやっていた。

自ずと、ヘチマとレムルスは、少女がいる最上階で、同じ時を過ごす事が多くなった。
年端もいかない少女が捕らえられている事に、レムルスは何も言及しなかった。
だが、きつく結ばれた足枷を緩めたり、自分の食事を半分与えたり、何かと世話を焼いていた。
それらは、首領に知られればきつく咎められる行為であったが、客人のする事ならば、と、半ば自分を言い聞かせ、ヘチマは見て見ぬふりをしていた。

06-03 魔術

レムルスがアリウムの一味に雇われてより、五日後。
カン……カン……。
レムルスがヘチマと共に雑事を終えた後、もはや日課となったムシロ編みをしていると、少女が食器を鳴らした。
「次の食事はまだじゃ。さっき食ろうたばかりじゃというのに」
ヘチマの言葉に少女は首を振った。
ヘチマはおや、と思った。
カン……カン……。
「旦那、もしかして、このガキァ、旦那のムシロを欲しがっているんじゃないのかい?」
レムルスがムシロを差し出すと、少女はひったくるように奪い取った。
「そんな寒い季節じゃあるまいし」
ヘチマは声に出して毒づいたが、その後、言葉を失った。
少女が、レムルスが途中まで編んでいたムシロを、編み始めたのだ。
それも尋常では無い速さで。
その手際を、レムルスは真剣に、ヘチマは驚愕の眼差しで、見つめていた。
あっと言う間に、一枚のムシロが編みあがった。
間近で見たレムルスとヘチマにとって、それはまるで魔術のようであった。
「見事」
レムルスは感嘆のため息をついた。
少女ほどでは無いが、口数の少ないレムルスが思わず口に出した言葉だった。。
少女は、「どうだ」と言わんばかりに、レムルスに向かって薄い胸を張って見せた。
ヘチマは老いた足を大急ぎで動かし、下の階へ報告するために駆けた。

その日から、少女の前でレムルスに、靴や手袋を作らせるよう、首領が命じた。
首領の作戦は功を奏した。
レムルスが作り始める度に、少女は材料の上質な干し草ごと奪い取り、魔術のような手際で、靴や手袋を仕上げてみせた。
丈夫で、美しく、誰が見ても上出来なものであった。
レムルスは必死に、その手際を目で見て盗もうとしていた。
だが、少女の手さばきはあまりにも早すぎて、レムルスの目をしても追いきれぬ部分が多々あった。
すると少女は、重要な箇所を、ゆっくりと編んで見せた。
それはレムルスをひどく喜ばせた。
ただ、少女は次々に作り終えてしまい、際限なくレムルスの途中成果も奪ってしまっていた。
「ガキ様よ。申し訳ないが、旦那の分も残してやっちゃぁくれまいか」
ヘチマは身振り手振りを交え、少女へ苦言を申した。
おそらく、少女は自分たちと共通の言葉を持たないのであろうと、ヘチマは気づいていた。
すると、その意図は概ね伝わったようで、少女はレムルスが編んだムシロに視線を移した。
「いや、ムシロの事じゃあねぇ。靴や手袋の事を言っとるんじゃ。見ねぇ、旦那の作った分なんて、一つもありゃしねぇじゃねぇか」
ヘチマは、山のように積み重なった少女の成果を指さした。
一味にとっては余計な事な気づかいであったが、既に物市へ出す目標の量には近づきつつあった。
少女のやる気を出させるために、ヘチマはレムルスのやる気も削ぎたくなかったし、何よりレムルスが気の毒であった。
「……」
少女は頬を膨らまし、そっぽを向いた。
クソガキめ。
ヘチマは舌を打ち、あぐらをかいたままぐっと身を乗り出して、少女を睨んだ。
「いいか。旦那の作ったモンは、ムシロはともかく、まぁそれはお世辞じゃが……それ以外のもん、靴や手袋は、お世辞にも売りもんにはならねぇ」
こんこんと、ヘチマは続けた。
「しかしじゃ、ガキ様よ。お前さん、飯の量を増やしてもらったにも関わらず、相変わらず旦那の分を半分もらってるじゃねぇか」
少女はそっぽを向いたままだった。
「思いやりってぇもんがねぇのか、お前さんには。えぇ?」
ヘチマが言い終えると、少女は「略奪者の一味であるお前たちがどの口で言っているのか」と、言わんばかりに、二人の男へ背を向けた。
「すまねぇ、旦那。あのクソガキ様ァ、あの通りじゃ」
レムルスは小さく首を振って、自分が編んだムシロを、じッと見つめていた。
ヘチマは「しまった」と思った。
先ほど自分が言った言葉を、レムルスが気にしてしまっているようだったからだ。
「あぁ、まったく、おかしな事になっちまったもんじゃよ」
ヘチマは大きく声に出し、毒づいた。