07-03 師の命

二度目の物市が終わった翌日。
夏の盛りでひどく蒸し暑いからか、レムルスがアリウムの一味を去る日であったからか。
その日だけは、レムルスと少女とヘチマ、三人とも、何も仕事を命じられなかった。
だが、ヘチマは不機嫌を隠そうもしなかった。
最後の昼食を採りながら、三人は無言だった。
レムルスが去る理由は、薔薇の一味がレムルスの賃金を値上げした事が原因であった。
それは、首領が到底受け入れられない額であった。
「旦那、次はどちらに行かれるんで?」
ようやく口を開いたヘチマに、レムルスは首を振って応えた。
次の雇われ先は決まっていないようだった。
「それなら、少しはのんびりできらぁなァ……」
正直、ヘチマは寂しかった。
レムルスと少女と、物作りに携わってきた日々は、ヘチマにとって、決して無為ではなかった。
少女とレムルスの2人であれば猶更だ、と、ヘチマは疑ってさえいなかった。
すると、レムルスが、少女と一時、二人きりで話をしたいと言ってきた。
「…………」
何も言わず、ヘチマは重い腰を上げた。
ふと、ヘチマはレムルスの剣に視線を向けた。
もう楽しみも無かろうて、それも良いか。
たとえ何が起ころうとも、全てを受け入れる覚悟をして、老人は下の階へと降りていった。

部屋には、レムルスと少女の、2人きりとなった。
食事中も少女は牢の片隅で、レムルスに背を向けたままだった。
今は横になっており、眠っているようにも見える。
「師匠。お世話になりました。ところで、もしよければ、私と一緒にここを出ませんか?」
まるで散歩に誘うが如く、レムルスが少女に語りかけた。
少女は飛び起き、レムルスに駆け寄って、黒樫の檻を手で掴み、レムルスの瞳を見つめた。
「…………」
「…………」
2人は視線で語り合っていた。少女は本気? と、問うた。
レムルスは本気だと、頷いた。
少女は、しばらくレムルスの瞳を見つめた後、うつむいた。
「無理」
囁くような特徴のある、声だった。
拒否をされたレムルスであったが、瞳は動かなかった。
「だって、レムルス、ヘチマみたいに、ご飯、作れない」
途切れ途切れだが、しっかりと理解できる、略奪者の言語を少女は喋った。
「努力します。それに、ヘチマ殿も、連れて行くつもりです」
レムルスは、少女の言語で答えた。
「嫌。行くのなら、一人で行って。私を巻き込まないで」
レムルスの瞳が動いた。
少女を連れ出し、アリウムの一味を裏切れば、薔薇から追われる事を、少女は知っていたのだろうか。
それならば、と、レムルスは、少女の言わん事を理解たつもりとなって、諦めた。
だがそれは、少女が口には出せぬ想いの、半分のみであった。
「レムルス、一つだけ、お願い、聞いて」
「はい。師匠の命であれば、どのような事でも」
少女は、密かに編んだ草紐と紙を取り出し、レムルスへと渡した。
私の仲間に、ウズマキとペロという名の少女がいる。
少女は淡々と、囁くように、そう言って、紙に炭で記した拠点の場所を、指さした。
「二人に草紐を渡して。私、死んだと、伝えてほしい」
受け難い指示に、うつむいたレムルスへ、少女は初めて笑った。
「師匠からの、命令、だよ」
レムルスは去り際、師の名を尋ねた。
長い髪の少女は、ムムと言った。