11-1 朝の習慣

夜が明ける前に、男は目を覚ました。
枯草の上に布を敷いたベッドは、深い眠りへと誘ってくれるものの、まだ慣れる事はできない。
身体を起こし、部屋の片隅に置かれた水瓶で、顔を洗う。
干した布で顔を拭く。
机に置いた目の粗い麻布の服と、黒い仮面を手にし、身に着ける。
男は小考する。
その後、僅かに首を振り、石の剣を持ち、足音を立てぬよう外に出る。
振り返ると、同じ寸法で建てられた家が連なっていた。
建物の周囲は、松明が等間隔で配置され、煌々と照らされている。
誰かが起きている気配は無い。
皆、日々を懸命に生きているからであった。
レムルスは石の剣を腰に差し、静かに、だが、狼をも圧倒する速度で駆けていった。

教会の裏には、荒涼とした墓地が広がっていた。
辿り着いたレムルスは、石の剣を抜き、呼吸を即座に整えた。
一度、二度、三度、剣を振る。
それが百を超え、二百を超えても、次の一振りは、前の一振りを越えんばかりの気迫で、振り続けた。
千を数えた後、レムルスは石の剣を流れるような動作で腰に収め、振り返り、一礼をした。
「おはようございます。レムルスさん。お茶でもいかがですか」
レムルスに声をかけた女は、茶色の教衣に身を包んだ聖職者であった。

村の離れで一人教会を仕切る女は、やや視線を下に向けながら、姿勢良く茶を飲んでいた。
「シスター殿、いつも場所をお借りして、かたじけない」
レムルスは用意された茶を一口すすり、改めて礼を述べた。
「レムルスさんのおかげで、死者がこの辺りに迷い込む事も、随分と減りました」
「いえ」
レムルスは否定したが、教会の周辺は松明の配置が満足に整備されていない。
彼が来るまで、彼女は随分と夜を越えるために苦労をしていた。
「村の生活には慣れましたか」
「おかげ様で、十分な暮らしをしております」
「では、ささやかではございますが、こちらをその足しにしてくださいませ」
聖職者は布の包みを、レムルスに差し出した。
中には、村の通貨となるエメラルドの欠片が、数個入っていた。
「受け取れません」
「私からではありません。ツルさんからです」
「ツル殿から」
「はい。ツルさんは、鉄採掘の功労者であるレムルスさんに、満足な御礼ができていない事を、常に悔やんでおられます」
「とんでもない事です。ツル殿より村に住む許可を頂いただけではなく、家を数件頂戴いたしました」
ツルは、夫の遺体を持ち帰ってくれたレムルスに、それ以上の謝礼をしたかったが、貧しい人々を決して見捨てない村長の台所事情は、相当に苦しかった。
「育ち盛りの女の子を三人も養っていらっしゃるのです。ツルさんのお気持ちを、どうぞ受け取って頂けますよう」
「かたじけない」
レムルスは、エメラルドが入った布を丁重に受け取った。
価値としては、五人の食事三日分程度の重さであったが、決して粗末に扱えるものではなかった。
「とはいえ、子供たちは皆しっかりとしております。何より、一人は私の師でもありますゆえ」
「あら、詳しくお話をお聞きしたいですが、そろそろ朝ごはんのお時間でしょう」
「はい。また別の機会に」
レムルスは茶を飲み干し、席を立った。

「レムルス、おかえりぃ。ご飯だよぉ」
既に朝食の準備を整えたペロが、家の前でレムルスの帰りを待っていた。
その身体には、泥も塗られておらず、着ているのは葉ではなく麻布の服であった。
「ありがとう、ペロ」
ペロを伴い、レムルスが生活する家の、向かって左隣に入る。
そこは、ペロとウズマキとムムにあてがわれた家だった。
「おはよう、旦那」
右隣りに住むヘチマは、既に食卓の席へとついていた。
「今日も朝から精が出るねぇ」
若いシスターの事を見知っているヘチマの声は、やや下世話であった。
「まったくだ。毎朝他の女の所に足を運ばれる、私の身にもなってほしい」
不満を隠そうともせず、麻布の服を来たウズマキが、大きなため息を吐いた。
「ウズマキ、我慢じゃ。もうしばらく、大人になるまではな」
「ヘチマ殿が教えてくれたように、大人の男には、大人の女が必要なのは分かる。だが、私はいつまで待てば、マスターに大人として扱ってもらえるのだろうか」
「そりゃ、まァ、胸がシスターほど、膨らんだ頃じゃねぇのかい」
「なッ、ななッ、あんなカボチャのような胸になるまで、待たねばならないのかッ」
ウズマキは、服の首元を前に引っ張り、自分の胸を直視し、絶望した。
「ウズマキ、ヘチマ殿、私とシスターは、二人が思っているような事など、何もない。ただ場所を借りているだけだ」
レムルスは、淡々と二人を窘めた。
「だったら、私も連れていってくれればいいのに」
「大人数で騒いでも良い場所ではないのだ。それに、子供は十分に睡眠をとらなければならない」
同行できない理由より、子供扱いされた事に、ウズマキは口を尖らせた。
「うぅー、うるさいなぁ」
ようやく起きてきたムムが、ボサボサの長い髪をそのままに、ブカブカの服を来て、食卓に座った。
「ペロ、ごはん」
「はーい。今日はお野菜と、芋のスープだよぉ」
「えー、卵か肉は無いの」
「ペロ、私も肉がほしい」
ウズマキとムムが、同時に主張した。
「ごめんねぇ。肉は夜の分しかないの」
「マスター、今日は二人で狩りに出かけないか」
「ウズマキ、言ったろう。狩りは狩りを職としている者に任せる。我々は、我々の成すべき事をして、肉や野菜を贖わねばならないのだ」
「難しい。村の生活は、外の生活より、随分と難しいのだな」
「これも修行の内と思え」
レムルスにそう言い切られると、何も反論できないウズマキであった。
その隙にムムは、レムルスの野菜とスープを半分、自分の器に移していた。
「いつもごめんねぇ、レムルス。少しだけなら、おかわりあるからね」
「私は大丈夫だ。おかわりの分はウズマキとペロ、二人で分けなさい」
「修行の内、修行の内」
囁くようなムムの呟きに、真剣に頷くレムルスがおかしくて、ペロはつい噴き出してしまった。