05-01 ペロの置石

レムルスがウズマキを鍛えている間、ペロは、ウズマキとレムルスのために、新しい草靴を編んでいた。
貴重な山羊の皮は、なめしたままにしてあるが、それで皮靴を作るという発想は、ペロには生まれなかった。
日々、訓練の合間に、ウズマキとレムルスが薪や丈夫な草を採ってきてくれるので、材料は十分にあった。
特にウズマキは、訓練によって草靴を、すぐ履き潰してしまう。
冬に向けて、可能な限り厚みのある草靴になるよう、ひと編み、ひと編みを、心を込めて編んだ。
だが、以前、ムムが編んでくれた草靴とくらべれば、見た目の美しさも、丈夫さも、ほど遠い出来だった。
ペロは、略奪者に連れ去られたムムを思った。
元気だろうか。
ひどいことをされていないだろうか。
お腹は空いていないだろうか。
気が付いたら、ムムに作ってもらった耳飾りを撫で続け、手が止まっていた。
落ち込むものの、ペロは再び手を動かし始めた。
岩穴の寝床では、日の傾きは分からない。
感覚として、そろそろ、食事の準備をする頃だと思った。
ペロは完全に手を止め、背伸びをして、干し芋を一つかじった。
ウズマキの分はほぼ完成しつつあるが、レムルスの草靴は大きいので、あと1日2日は要するだろう。
香草の貯蓄を確認していると、ウズマキの好きな、辛味の強い香草が切れかけている事に気が付いた。
薬草も2つ、3つ、量が不安だった。
近頃、ウズマキはレムルスと行軍訓練のほかに、戦いの訓練も行っており、ウズマキには生傷が絶えない。
香草と薬草を採りにいくかどうか、ペロは迷った。
山羊は、近頃全く姿を見せない。
この辺りが、レムルスとウズマキという、より獰猛な生き物の縄張りだと、獣たちも気づいたのだろう。
略奪者の姿も、ムムがさらわれてから、およそ100日は見ていない。
でも、決して油断はしないようにしよう。
ペロは、自身がが戦いにおいて足手まといなのは、分かっていた。
その上で、略奪者からムムを救おうと足掻いているウズマキのために、出来る限りのことを、したかった。

訓練をほぼ終えたレムルスとウズマキが、拠点に戻った。
拠点の入り口には、ペロが残した置石が残されていた。
それを見た途端、ウズマキの顔色が変わった。
日の傾きを示す置石が、ペロが出立してから、長時間帰って居ない事を示していた。
レムルスもウズマキ同様に、置石が示す意味を、これまでの生活で十分に理解をしていた。
「間もなく日が落ちる。マスター、急いでペロを探そう」
既にレムルスは、置石が示した方向と、ペロの足跡を追い、駆け始めていた。
獣を遥かに超える速さで、すでに姿が小さくなったレムルスの背中を、ウズマキは長槍を握り追いかけた。
しかし、距離は縮まるどころか、数呼吸の間に、レムルスの姿は岩山の奥へと消えていった。
ウズマキは、強靭なレムルスの脚力に驚き、また、これまでの行軍訓練ですら、自分に合わせて加減されたものだと、思い知らされた。
ウズマキは頭を振り、ペロとレムルスの足跡を追うために、再び駆け始めた。

05-02 略奪者

事態は、ほぼ最悪であった。
3人の略奪者が、ペロを拠点へとは逆の方向に連れ去ろうとしていた。
遠目からそれを確認したレムルスは、風のように、だが音も立てず近づいていった。
ペロまであと数歩の所まで辿りつく。
岩陰に隠れながら状況を確認する。
略奪者らは、ペロをまるで家畜のように、首と手を縄で縛り、力任せに引きずっていた。
ペロの頬には、殴られた大きなあざがあり、片耳からは血が流れていた。

「…………ゥ」
ペロを引きずるための縄を握っていた略奪者が、腹に受けたレムルスの一撃で、音も無く地面に倒れこんだ。
唖然とする残り2人の略奪者らは、武器を構えるための十分な時間をレムルスに与えられた。
「レムルス!!」
ペロが自分をかばうように前へ立つレムルスの背に叫んだ。
レムルスは、ペロの口元に血がこびりついていることを確認していた。
「……剛のレムルス!?」
略奪者の一人が呻くように叫んだ。
「なぜ、お前がここにいる! 薄汚い奴隷剣士め! 我々の禄を食んだ恩を忘れたか!」
ペロは混乱した。
略奪者たちはレムルスを知っている。
言葉のほとんどは理解できないが、口々にレムルスを罵っているようだった。
「この女は俺の獲物だ。じきに日が暮れる。この男を連れて去れ」
ペロは、レムルスが発した言葉も、理解できなかった。
なぜレムルスは略奪者の言葉を知っているのか、疑問に思った。
だがそれよりも、聞いた事も無いような、レムルスの怖い声に身がすくんだ。
「きゃッ」
レムルスが足元で気絶している男の顔を踏みつけた。
その野蛮な行為に、ペロはひどく驚いた。
「ぐぅ……」
「むぅ……」
仲間を足蹴にされてなお、2人はレムルスに、構えた武器を使おうとすらしなかった。
やがて、2人は気絶した仲間をそれぞれの肩で支え、去っていった。

3人の略奪者が消え去るまで、レムルスは周囲と3人への警戒を怠らなかった。
「…………レムルス。ごめんね」
「いや、こちらこそ、すまない」
「え?」
レムルスが、自らの片足を胸の辺りまで上げた。
その足の親指と中指には、ペロの耳飾りが挟まれていた。
レムルスに顔を踏まれた男が、ペロから奪いとっていたものであった。
「ペロの大事なもの。足で、すまない」
いつもの優しい、レムルスの声であった。
「…………レムルス、レムルスぅ…………」
ペロは、レムルスから耳飾りを受け取り、それを胸の前で握りしめ、その場にうずくまり、大粒の涙をこぼし始めた。

「…………」
その一連の出来事を、やや離れた岩山高くから、ウズマキは目撃していた。
ウズマキは、瞳を激しく燃やし、去っていく略奪者らの姿と方向を、睨みつけていた。

05-03 選択肢

急ぎレムルスとペロが拠点へ戻ると、ウズマキが立っていた。
「ウズマキ、ごめん」
「ペロ、すまない」
ペロは、戦えない自分が足手まといになっている事を。
ウズマキは、戦える自分がペロを守れなかった事を、それぞれに詫びた。
ウズマキはペロの頬に殴られた痕を認め、目を固く閉じた。
「マスター。なぜ、奴らを殺さなかった」
レムルスは、遠目からウズマキが見ていた事を知っていた。
「………………」
レムルスは答えなかった。
略奪者の斥候隊を殺せば、その一味は決死の覚悟で報復に来る。
それは、今のウズマキに言っても、理解できない事だと思った。
レムルスは、もし、ウズマキが自分を疑い、手に持った槍を突き出しても、それを避けずに受け止めるつもりだった。
そういった覚悟の上で、何も答えなかった。
「マスター。頼む」
ウズマキは、レムルスをまっすぐと見つめた。
「今日は、今日だけは、一緒に、私たちと眠ってくれないか」
「レムルス。ペロからも……お願い」
レムルスは、自分が居なくなった後も、少女たちが過酷な環境で生きていられるよう、できる限りの知識と技術を教えたかった。
しかし、レムルスは、自分が誤っていた事に気づいた。
少女たちは、過酷な環境で生き抜いてきたとはいえ、大人でも、戦士でもない。
まだ、子供なのだ。
レムルスは頷いた。
ウズマキは、いつもよりも力無く頷いて応え、あれからようやく、ペロが微笑んだ。

水路の奥は、レムルスをして、仰天するような光景であった。
二人が耳に着けている耳飾りの原石、アメジストが大量に点在していたのであった。
暗い洞窟の中、見たことも無い、怪しくも美しい、紫色の輝きだった。
「驚いたろう、マスター」
ウズマキの言葉に、レムルスは頷いた。
「もし、マスターが、ここから去る時には、好きなだけ持って行ってくれていい」
寂しそうなウズマキの声であった。
直接的な言葉を交わさなくても、やがてレムルスがここから去るべき意思である事は、弟子であるウズマキが、気づかぬはずがなかった。
「…………」
アメジストは高価だが、危険な鉱石でもあった。
その希少さ、手に入れる事の困難さから、取引自体が難しい。
集落と集落が争い、果ては国同士の争いにまで発展した逸話まで残っている。
「ん、うんっ、んんッ、いや、マスターは手伝わなくてもいい。自分たちでやる」
ウズマキが重い石の蓋を水路の出口に置き、さらにその上に、少女たちは重しの小岩をいくつか積んだ。
水路からの侵入を許さない工夫だった。
壁からはかすかに隙間風も通っている。
水には困らない。
食料さえ蓄えておけば、素晴らしく安全な場所であった。
「マスター。今日はちょっと疲れた。早く眠りたい」
今日の衝撃に加え、ウズマキは日々の疲労も積み重なっていた。
二人は本当に眠そうにしていた。
「レムルス、こっち……」
水に濡れた少女たちの肢体が、アメジストの輝きに浮かび上がり、レムルスを誘った。
枯草を敷き詰めたのが、寝床だった。
そこにレムルスが腰掛けると、二人は両脇に寄り添うように、寝ころんだ。
レムルスはやや躊躇いながら、ウズマキとペロの頭を撫でた。すると、まず泣き始めたのはペロであった。
「ムム……ごめんね。ムム、ごめんねぇ………」
間を置かず、ウズマキが嗚咽を漏らした。
「うぐッ……ふッ、ふぅ……ひっく、ひっく、うぇ……うぇぇぇぇぇ」
レムルスは、二人が泣き疲れて眠った後も、ずっと頭や肩を撫で続けていた。
レムルスは既に、自分の選択肢を、一つへと絞っていた。