02-02 帰路

しかし、ウズマキは帰路への方角を見失っていた。
想像以上に、森の奥へと入り込んでいた。
ところが、仮面の男は目印を付けていたようで、2人は迷いなく、少女が見覚えのある森の入り口へと辿り着いた。
ほっとする半面、少女はいくつかの疑問の答えに気づかざるを得なかった。
「貴様ッ、こんな場所から、私を見張り続けていたのか!」
男は素直に、それでいて申し訳なさそうに、背をやや丸めながら、頷いた。
「ふ、ふん。私が『りんご』を採れない様は、さぞ滑稽であったろう。だが……やはり、最初の夜、私を救ってくれたのは、貴様だったのだな」
どこか悔しそうに、少女はなかなか言い出せなかった言葉を吐き出した。
男はややためらいがちに、やがて観念したように、頭を縦に下げた。
死者の群れから夜の間、自分をどう守り続けたのか、少女には想像も付かない。
しかし、この男なら、そのような事もやってしまいそうな、頼もしさを感じ始めていた。
「大きな貸しがまた一つ、貴様にできてしまった」
そう言いながらも、少女は必要以上に胸を張ってみせた。
「私は、貴様の事を何も知らない。だが、私は誓う。必ず貴様に貸しを返す」
男は首を振ろうとしたが、結局頷いた。
少女のまっすぐな決意に、押し切られた形のようだった。
ウズマキは、頬に体温が集まっていくのを感じた。
今すぐ、男に貸しを持ち出され、結婚したいと求められたら、自分は断る事ができるものだろうか。
男は何も言わず、少女に道案内を求めた。
「よ、よしッ。ここから先は、図体のでかい貴様には厳しい道のりになるぞ。私がしっかりと助けてやるから、安心しろ」
岩山地帯は、少女の庭であった。
ただ、浮かれていた少女は、行きとは違い、想定以上の収穫がいかに枷となるかを、はるかに甘く見積もってしまっていた。

ウズマキの見込み違いは、3つに及んだ。
一つ、身軽な状態で岩山地帯の下るのはお手のものであったが、重たい荷物を背負っては、登るために相当な握力を必要としたこと。
二つ、目的の一割も進まぬ内に、余力が尽きてしまったこと。
三つ、仮面の男は、少女を背負い、果実が詰まった背嚢を2つ両手に持ちながら、軽々と岩山を登り続けていること。
少女は、密着した胸で、男の逞しい背中を、痺れた細い腕で、固く広く尖った肩を、それぞれに感じていた。
少女が差した方向に進む男の、一つ一つの動作には無駄が無い。
走り、飛び、次に握る小岩を選び、すぅっと引き寄せて登る。
早い。男の余力はまるで無尽蔵にあるようだった。
帰路の序盤には、明らかに歩調を合わせてくれていたのであろう。
しかも、少女のお腹がすき始める頃に、ストロベリーを取り出して、少女に差し出すほぼの心配りであった。
男が皆、この男のようなものでは無い事を、少女は知っていた。
少女にとって、目撃できた数少ない世の男は、皆粗暴で、力任せで、怠け者で、口汚い言葉しか吐かないものだった。
男が一足踏み出す度に、一つ小岩を上がる度に、少女の価値観が塗り替えられていく。
同時に、垢と汗まみれで、身体の文様も既に消えつつある自分のみすぼらしさが、もどかしかった。
早く、汗と泥にまみれた身体を洗いたい。
油が浸み込んだような髪をすきたい。
何より、身体の文様をペロに塗り直してもらいたい。
強い使命を自らに課している自分が、そんな浮かれた気持ちを恥じる気持ちは、もちろんあった。
「良い心がけだ……うん、良い心がけ……だ」
だがそれを、頭の中から完全に消す事は、今の少女にはできなかった。

森から出立しようとした際、重い荷物を背に感じ、ウズマキは拠点としている家に戻るまで、三泊と予測した。
岩山を登り始め、百歩も進まぬ内に、四泊以上の行程になると、覚悟した。
全身が汗に覆われ、両手両肩の感覚が無くなった時には、拠点へ戻るために、旅の目的であった貴重な果実を減らす事まで考えていた。
それが、仮面の男に荷を預け、さらには背負われて進む今となっては、日が沈まぬ内に、拠点までもう目と鼻の距離にまで辿り着いていた。
男の身体能力は、驚愕であった。
少女はもう、自分が男より優れているものなど、無いのではないかと思った。
そして、それが誇らしいとさえ、思い初めていた。
「この辺りだ」
少女は男の背から降りた。
「今日はあの岩穴で泊まろう。狭い横穴だが、昨日掘った穴よりは広い。疲れたろう。りんごも、すとろべりーも、好きなだけ食べてくれ」
もう既に、拠点辺りを視界に収める所まで来ていたのだが、流石の男でも、日暮れまでには間に合わないと、少女は判断した。
男の疲労も気になった。大量の荷物を背負い、ほとんど小休止すら取っていなかった。
やや、肩で息をしていた男だったが、岩穴までリンゴを運ぶと、男の背嚢から二つを選び、一つを少女に差し出した。
「私はいらない。疲れてないから、腹も空いていない。だいたいそのリンゴは、貴様の取り分ではないか」
しかし、男は差し出した手を引かなかった。少女は観念して、リンゴを受け取り、齧った。
爽やかな酸味と甘さが、疲労が蓄積された身体に浸み込んでいく。早くペロにも、味合わせてあげたかった。
少女がリンゴを口にしたのを確認した後、男もリンゴを少し齧った。
男がゆっくりと咀嚼して飲み込む。自分には無い立派な喉ぼとけが動くのを眺めながら、少女の胸は高鳴った。
「入り口は私が塞いでおく。貴様は、ほら、早く楽にしてくれ」
少女を背から降ろした時には、やや肩で息をしていた男であったが、既に呼吸は落ち着いていた。
それでも、少女はあれこれと世話を焼いて、男を岩穴の少しでも良い場所で、休ませようとした。