03-01 半肩を担ぐ

思っていたよりも毒のまわりが相当に早い。
レムルスの全身はあれからすぐに焼けるような高熱を発し、ウズマキの心胆を寒からしめた。
慣れぬ環境の毒は、致命傷に至りやすいと、ウズマキはペロから聞いた事があった。
少女は朝まで、男の生命力が尽きぬよう、手を握りながら祈り続けた。
「レムルス、もうすぐだ。レムルス、大丈夫だ。レムルス……レムルス……」
朝になるまでの時間は、少女にとって、途方も無く長かった。
それほど、男の容態は油断のできないものに思えたからであった。
「日の光! 朝だ、レムルス! 朝日が昇ったぞ!」
入り口に差し込んできた日差しを確認した瞬間、ウズマキは岩穴を塞いでいた蓋を蹴飛ばした。
周囲の警戒もそこそこに、少女は男の元へ急ぎ駆け戻り、毒が混入していない方の手を再び握った。
少女をして、不本意な夜を越えた事は一度や二度では無かったが、今ほど朝をありがたいと感謝した事はなかった。
男は手を握り返してみせ、少女の声に応えた。
これまで見せられてきた男の逞しさと比べ、弱々しい力だった。
少女は、熱を発している男の手を優しく握り返す。
「レムルス。この辺りは狂暴な山羊が居る。毒蜘蛛がまた現れてもいけない。お前は、匂い消しの泥も薬草も塗っていない」
あらかじめ、男が少女を一人で拠点に帰るよう申し出るのを、拒否した説明であった。
「私が肩を貸す。立て、レムルス。立って共に歩き、私の家まで一緒に向かおう」
男は朦朧とした様子でしばらく思案をし、観念したように洞窟の入り口まで這い、立ち上がろうとした。
しかしまともに立ち上がれず、少女がすぐさま、肩を支えた。
男の体重ほとんどが、少女に伸しかかる。
「ううううう! おおッ!!」
少女は歯を必死に食いしばり、吠え、男を支えた。
リンゴなどとは比べ物にならない重さだった。
しかし、少しの間を置いて、男の体重が軽くなった。
男は、自分の力だけで立とうとしていた。
男の口元からは血が滲んでいた。
そこまでしないと、自分の力で立てないほどに、男は弱っているようだった。
「やめろ、レムルス。毒のまわりが早くなる。私を頼れ。私に身体を預けろ」
男は、小さな岩穴の奥に置き去りとなったリンゴの山を見る。
「気にするな。リンゴは後で取りに来る……山羊に食われれば、また取りに行けば良い」
弱々しくも、レムルスの全身に力が込められた。
前に。前に進もうとする力だった。
その身体の重さが、頼りなさが、思いやりが、健気さが、ウズマキにとって、たまらなく愛おしく思えた。

ウズマキの拠点はもう、目前だった。
少女は全身でレムルスの肩を支え、そこへと辿りつくまでに、何もかもを出し尽くしていた。
少女のか細い身体の中に含まれる水分は、くまなく絞り尽くされていた。
一足、一足と踏ん張り続け、流れ落ちた汗で、下半身は失禁しているかのようであった。
ウズマキは、レムルスの口に、一すくいだけ持って来たストロベリーの最後を、押し込もうとした。
しかし、男の意識は朦朧としているのか、ストロベリーは口元からこぼれていった。
それを少女は地に落ちる前に、かろうじて受け止め、もう一度、今度は無理やり男の口へと押し込んだ。
「レムルス。着いた」
少女の喉は、男を幾度となく励まし続けてきたために乾ききっており、声は枯れていた。
男は返事をしなかったが、決して膝を折ろうとはしなかった。
少女は余力を使い切ってなお、男を入り口の壁へともたれかけさせるのに、細心の注意を払った。
少女が男の身体から手を離すと、男はゆっくりと膝を折り、地面にへたりこんだ。
「待ってろ。すぐ、に、薬草を。ペロ、連れて、くる」
ウズマキらが拠点とする岩穴は、入り口は狭いものの、中は広かった。
少女はよろめきながら、岩穴の先へと進む。
奥には細い水路が有った。
その水路を抜けると、ペロの待つ寝床へと辿りつける。
水に飛び込む前、はやる気持ちを抑えながら、ウズマキは足元の石を叩き、自分を待つペロに合図を送るのを、忘れなかった。
一度大きく。二度少し力を弱めて、最後にもう一度大きく、岩を石で叩く。
そうしなければ、水路の出口には、重い蓋が置かれたままになっている。
合図によって、ペロに出口の蓋をどかしてもらわなくてはならない。
自分たちの安全を守るための、約束事だった。
二、三呼吸のみウズマキは休み、水の中へと潜り込んでいった。

03-02 再会

水路の出口は、蓋で閉じられていなかった。
ウズマキは這いずって水面から身体を出した。
ムムを奪われた日の翌朝と同じくらい、水に濡れた身体は重かった。
しかし、今のそれは精神的なものではなく、ただただ肉体が、疲労していたからだった。
「ウズマキ!」
今はたった一人残った、仲間の声。
自分の名を呼んだペロの声には、強い喜びの感情があった。
だが同時に、いつも以上のか細さを、ウズマキは感じた。
自分がしばらく戻らなかったのだから、不安だったのだろう。
ウズマキは勝手にそう信じ込んだ。
疲労で顔を上げられぬまま、ウズマキはペロに、次々と指示を出した。
「毒蜘蛛の、薬草を、用意してくれ。入り口に、毒に犯された、男が居る。信用できる。私の夫になるかもしれない、男だ」
尋常無く必死な様子のウズマキを見て、冷静に、動揺をしないよう、心構えをしていたペロであった。
しかし、言葉を最後まで聞き終えた後には、驚愕で高速の瞬きを繰り返さねばならなかった。
「わわわ、分かった。緑クモの毒だね。その男の人は、身体が大きい? それなら、2人分は調合しないと」
ウズマキを安心させるために、ペロは理解できた指示のみを、まずは片付けようと思った。
「3人分だ」
ペロは緊張で身体を固くした。
どんな大男なのだろうと、不安になった。
「大丈夫だ。レムルスは、他の男たちとは、違う」
地面に顔を突っ伏したまま、ウズマキはペロの緊張に気づき、解こうとした。
「……分かった。3人分だねッ」
ペロは、かつてのウズマキと同じ、男というものを全く信用していなかった。
だが、それ以上に、真剣なウズマキの言葉を疑う事はできなかった。
ガサ、ガサガサ……パッ、パッ、パサッ、パッ……ゴリ……ゴリ……。
ウズマキの耳に、ペロが蓄えていた薬草を調合する音が聞こえる。
いつもながら迷いが無く、手際が良い。
しかし、自分の気が逸っているせいか、少しのんびりしすぎではないかと、ウズマキは思った。
「急いで、くれ。レムルスは、男だけど、大丈夫、だから」
「ご、ごめん。大急ぎだね。分かった」
ウズマキの意識は、疲労で朦朧としていた。
やがてペロが奏でる調合の音に安心し、目を閉じた途端に、強烈な睡魔に襲われた。
ペロならレムルスを任せられる。
ウズマキは逆らう事無く、意識を失った。


「バカ!!!」
ウズマキの怒鳴り声を、ペロは甘んじて受け入れようと、覚悟をしていたようであった。
しかしウズマキの、あまりにも強い剣幕を、ペロは受け止めきれず、思わず大きく首をすくめ、涙を滲ませた。
「あれだけ、一日に必要な分は、蓄えを食べて過ごせと約束したのに!」
「ごめんなさいッ、ごめんなさいッ」
「ふん! どうせ、また私が手ぶらで帰ってくるとでも、思ってたのだろう!」
「ち、違うもん。でも、もし、だよ? もしも、ウズマキが帰って来て、お腹空いてるのに、何も無かったら……って」
「ペロ! おッ、まッ、えッの、そういう、とっ、こっ、がっ、私の誇りを傷つけているって、何度言えばわかるのだ!」
水路を抜けた先の寝床で、ウズマキが長い睡眠の後に目を覚ますと、ペロの姿は無かった。
水路を戻り、拠点の入り口側に出ると、すぐにペロと遭遇した。
レムルスの姿を探したが、見当たらなかった。
ペロから、無事レムルスの毒が抜けつつある事と、レムルスが昨晩泊まった小さな岩穴へ荷物を取りに戻った事を聞き、安心した。
その時、ウズマキはようやく気がついた。
瘦せこけたペロの姿。
それを見て、ウズマキの怒りが爆発したのだった。
「もう、いいから、黙ってじっとしていろ! 泣くな!!」
泣きたいのは私の方だ、と、ウズマキは言いたかった。
ほとんど、蓄えを口にしていないのだろう。
空腹によって、ただでさえ細いペロの手足と頬の肉は、一回りも二回りも削ぎ落されており、浮いたあばらが痛々しい。
実際、レムルスが居なければ、ペロの言った通り、何も調達できず、戻らざるを得なかっただろう。
否、自分はここまで帰る事すらできず、自分を待つペロと共倒れすら、有りえた。
自分を慮ってくれたペロの優しさに。
飢えた身体でもレムルスを快方してくれたペロの強さに。
そしてレムルスと出会えた幸運に。
ウズマキは涙を流すのを、必死にこらえなければならなかった。
そのような事よりも、と、ウズマキは、水路奥の寝床にある、ペロが無理に節約した蓄えを、急ぎ取りに戻ろうとした時。
「レムルス!」
ペロが戻って来たレムルスの姿を見て、安心しきったような声で叫んだ。
それが少し、ウズマキにとっては複雑だった。
自分が眠っている間の事は、まだ詳しく聞けていない。
レムルスは、たくさんのリンゴとストロベリーが詰まった背嚢を2つ、難なくここまで運んで来た。
「わぁ……レムルス、すごいね。力持ちだね」
ペロは目を細くして、レムルスの膂力に感心をしていた。
「ペロ、お前はそれどころじゃないだろう。早くリンゴを食べろ。いや、まずはストロベリーの方が柔らかくていい」
「りんご? すとろべりー?」
「あぁ、レムルスが持っている荷物の中は、全て食料だ。私とレムルスが、二人で採ったんだ」
ウズマキは胸を逸らし、やや、二人で、という部分を強調した。
「すごいねぇ。ウズマキは、すごいねぇ。レムルスも、すごいねぇ」
レムルスが、丁寧に荷物を、ウズマキとペロの前に置いた。
「さぁ、まずは食べよう。レムルスも、無理はしていないか? 毒だって、まだ抜けきっていないだろう?」
「大丈夫だよ。ね。レムルス」
レムルスは、大きく頷いた。
ウズマキは、ペロの毒抜きに関する手際を誇らしく思いつつ、また複雑な気持ちになったので、軽くペロの肩を小突いてしまった。
「むぅ。ウズマキは、そうやってすぐペロのこと、叩く」
「レムルスを信用しろとは言ったのは私だが、お前は少し素直すぎる。男を簡単に信用するな」
「ウズマキの言う事は、いつも難しいんだよぅ」
「いいから早く食べろ。これがストロベリーだ」
ペロは、慎重に、ストロベリーを口に入れ、咀嚼した。目がゆっくりと細く、垂れ下がっていく。
「もぐもぐ……すごいねぇ。すとろべりー。とても甘くて、おいしいねぇ」
「たくさんあるぞ。腹いっぱいになるまで食べろ」
「うれしいねぇ。ウズマキが帰って来てくれて、うれしいねぇ……」
ペロが、大粒の涙をこぼし始めた。
ウズマキも、目的を果たした達成感や、ペロとレムルスへの感謝が混ぜこぜになり、もらい泣きをしそうになったが、ぐッと堪える。
「……レムルス。改めて紹介する。この泣き虫がペロだ。薬草の調合や食料の保存以外は、頼りない奴だが、よろしく頼む」
「ひどいねぇ、ウズマキは、口が悪いねぇ……もぐもぐ、おいしいねぇ……」
レムルスはそんな二人を、穏やかな口元と視線で眺めていた。

03-03 腰ミノの中に

食事の間、レムルスは、ウズマキとペロの生活について、話を聞いた。
これまで、ウズマキとペロの主食は、岩穴の隙間に生息する芋であったこと。
芋は干して保存食にするのだが、その干し加減は、ペロが名人級であること。
だが、この辺りの芋は全て採り尽くしてしまったということ。
ほとんどが芋の話に終始したのだが、2人がどう生き延びてきたのかを知るために、レムルスにとっては重要な情報だった。
ペロはしきりに、チラチラとウズマキを見ながら、レムルスとのこと、そして、これからのことについて話をしたかったようだ。
「その話は後にしよう」
だが、その都度、ウズマキが話を遮っていた。
レムルスは、今が、師の命を果たす時ではないかと、自問した。
しかし、互いの無事を喜び合う少女たちの様を目にする都度、その決意は揺らいだ。
師の命を果たす事は、レムルスにとって、時が経つごとに、より重い覚悟が必要となっていた。
今言わねば。
今言えなければ。
後回しにすればするほど、少女たちには情が移り、相反して、自分の業は積み重なっていくのであろう。
しかし、もし、仮に、師の命を果たさぬ道を、選ぶとすれば。
今では、その選択肢が、レムルスの頭に過ぎり始めている。
それは、レムルス自身にとって、想像の尽きぬ破滅への道であった。

「レムルス?」
ペロがレムルスの顔を覗き込んだ。心配そうな少女の顔であった。
蜘蛛の毒で意識が朦朧としている時、レムルスはこの少女に介抱をされた。
水路を抜けてきたのであろう、ずぶ濡れの少女は痩せこけた身体で、万全では無いであろう体調で、迷いなくレムルスの傷口を確かめた。
薬草を塗り、貼り付け、煎じた粉を飲ませる。
それは、レムルスをして、感心に値する手際であった。
さらにレムルス、滑らかな泥を用い、傷口の周りに何かの文様を描かれた。
これだけは、まじないの類だと思われる。
レムルスの身体には、だるさが残っているものの、ほぼ快方に向かっていた。
つまり、自身はこの少女に、命を救われた事になる。
情が移るも何も、まず、その恩義をレムルスは、返さねばならなかった。

「ペロ、レムルスは、男の決断をするために悩んでいるのだ。そっとしておいてやれ」
核心であった。
ウズマキの言葉に、一瞬平静を保てないほど、レムルスは驚いた。
レムルスの背筋は凍解するまでに、相当な時間を必要とした。
「ふふッ……。もう少し待てば、嫌でも決断することとなるぞ」
不敵に笑むウズマキは、どこまで、自分の考えを見抜いているのだろうか。
レムルスは、少女とのこれまでを思い返した。
ウズマキは、誇り高い人であった。
必要以上に人を頼らず、いや、明らかに必要な時でも人を頼れず、己の力で問題を解決しようとする。
貸しよりも、借りの方を忘れない、この世界では稀有な少女だった。
そして何より、ウズマキは、不屈の人だと、レムルスは思い知らされていた。
蜘蛛の毒を負った際、岩穴の中でウズマキに夜通し声をかけられ、翌朝から肩を借り、ここまでたどり着いた。
意識は朦朧としていたが、厳しい行程の中、自分の身体半分ほどしかない少女に、幾度となく救われた。
ウズマキが歯を食いしばり、汗や血反吐、涎らを垂れ流し、身体を支え続けてくれたその声、その一足を、忘れる事はできない。
森で出会った頃から、そんなウズマキの姿を見て、何度励まされたことか。
貸し借りで言うなら、自分の方がよほど恩義を受けている。
師の命を果たす事は、避けられぬ義務と現実であったが、ウズマキとペロに借りを返したいと思うのは、強い希望となっていた。
「なぁ、ペロ、レムルスに残った芋を出してやれないか」
「うん。もう全部出しちゃおうか」
「そ、それはそれで構わないのだが……お前という奴は、計画性があるのか無いのか、本当に分からんな」
「思い切りがいいだけだよぅ。ね、レムルス」
居心地の良い空気だった。
レムルスは、腰ミノに秘した師の命に逆らえきれぬまま、再び、答えの出せない自問自答に、沈もうとしていた。

03-04 ウズマキの決意

ペロが芋を食卓に並べたが、レムルスは最初の一切れを口にしたまま、ずっと顔を伏せていた。
ウズマキは、出会ってから何度か、その様を見た事があったが、今のレムルスは、さらに深く何かを考えこんでいるようであった。
ウズマキは、今が、その時だと思った。
「ペロ、聞け」
「え、何? レムルスには内緒の話?」
「私は今から、レムルスと、これからの話をするための、準備をする」
真剣なウズマキの視線を受け、ぺロは真剣な顔を作って頷き返す。
「う、うんっ。分かった。え? 準備?」
すぐには言葉の後半を、ペロは理解できなかった。
「身なりを整えたい。今から水で身体を清める。新しい泥と葉が必要だ。今あるだけでいい。できるか?」
「あ……うん!! 大丈夫だよ。それくらいの泥と葉は、残ってるッ」
完全にウズマキの意図を理解したペロは、はりきった。
ウズマキは満足そうにうなずき、レムルスへと話しかけた。
「レムルス。私たちは少し席を外す。水路の奥だ。後でお前を招待するが、その前に……けじめをつけておきたい」
レムルスはまだ思案にふけったままのようで、ぼんやりと頷いた。
「……ウズマキッ。私、頑張るねッ」
ムムを失った悲しみが癒える事は無いとしても。
ペロは、家族が増える期待に、胸が熱くなっていた。
ペロとウズマキは、頷き合い、水路へと潜っていった。

レムルスは、少女たちが飛び込んでいった水路の入り口を、見つめていた。
確かに、この狭い水路がある程度奥まで続いており、さらに出口を塞げる工夫があれば、侵入を容易に許さないであろう。
少人数が潜むには、もってこいの場所であった。
ウズマキが「必ず驚く」と言っていたのも、頷けた。
ザパッ。
レムルスは驚いた。
戻って来たウズマキは、一糸ならぬ、一葉まとわぬ姿であったからだ。
「あぁ、すまんレムルス。仕上げをするから、あちらを向いていてくれないか」
平然としたウズマキからそう言われるより前に、レムルスは入り口側へと視線を移していた。
ウズマキに続き、ペロが戻って来た水音が聞こえる。
2人の少女が何やら作業をしている音だけが、岩穴内に響いていた。
今日に至るまで、様々な文化を持つ人々と接してきたレムルスであった。
そのレムルスが、なるべく目立たず、事を荒立てず、他の文化に溶け込む際に、己に課していたのは
「理解できないことは、理解できないままで良い」という事であった。
少女たちには少女たちのルールがある。
それで良い。
自分はいつまでも、この場所に居られるわけではないのだから。

「レムルス、準備ができた。こちらを向いてくれないか」
ウズマキの呼びかけに、レムルスはやや恐る恐ると、半身だけ振り向いた。
そこには、新しい泥で、全身に文様を塗りなおしたウズマキが、堂々と立っていた。
髪も綺麗にとかし、身に着けていた葉も新しくなっている。
瑞々しい生命の美しさを、レムルスは感じた。
「ウズマキは、レムルスに礼を述べる」
ウズマキは両手の指を胸の前で組み、深くレムルスに頭を下げた。
「暗い森の夜を越えられたのも、食料を確保できたのも、その食料をここまで運んで来れたのも、全て貴様のおかげだ」
レムルスもそれに倣い、頭だけを深く下げた。
「すごいねぇ、レムルス。ウズマキが誰かにお礼を言ったの、久しぶりに聞いたよぉ。レムルスはほんとにすごいんだねぇ」
茶化すな、という視線をウズマキから受け、ペロは首をすくめた。
「そして、お前には詫びねばならない。レムルス、私には、仲間のムムを略奪者どもから奪い返すという使命がある……」
しばらくの間を置いた後。
やがてウズマキの頬は赤く染まっていき、ついに少女は言葉を繋げた。
「その使命を果たすまで、貴様の妻にはなれないのだ」
「………………」
場を沈黙が支配した。
ウズマキ自身は、自分が言った言葉の余韻に、やや浸っているようであった。
(…………ツマ?)
彼女らの言葉を半分以上理解できているレムルスであったが、ツマという言葉が何を指すのか、理解できなかった。
ただ、この場においては、理解できないまま頷いてはならない、荘厳さすら感じていた。
救いを求めるように、レムルスはペロへ「ツマ?」と疑問を投げかけてみた。
ペロはギョッとした表情をし、ウズマキの方を見た。
にやけた顔を表に出さないよう苦労し、ウズマキは、レムルスに身振り手振りを交え、仕方なさそうに説明をした。
「ツマというのはだな、レムルス、ツガイと言えば良いのか、フウフと言えば良いのか。まぁ、そのつまり、お前がなぜ私を助けたのか、その理由だ」
後半はもじもじとしながら、ついに、ウズマキは言いきった。
「お前は、私が欲しいのだろう?」
レムルスが、ツマが妻を指しているとようやく理解した時、仮面ごと青ざめるような狼狽えを見せた。
その時初めて、ウズマキは、おかしいと思った。
「え? も、もしかして、違った?」
ウズマキは、当然レムルスに否定されると思っていた言葉だったが、レムルスは、コクコクと頷いた。何度も、何度も。
「……………………」
ただでさえ、紅潮していたウズマキの顔であったが、顔どころか、耳までリンゴのように赤く染まっていった。
ザパッッ。
勢いよく、ウズマキは水路に飛び込んでいった。
ペロは憤慨して、レムルスを問い詰めた。
「どういうことなの! レムルス!!」