10-3 炭坑の朝

「薔薇の一味だってえ!?」
ツルは巨体を飛び上がらせて驚いた。
ハッシュなどは、明かりに照らされた顔が真っ青になっている。
「だから今は『元』、だって言っとるじゃろう。ワシもあの時は驚いたさ。だが、聞けば奴隷上がり。それにしたって、何とも頼りねぇ旦那が雇われたと思った」
炭坑の入り口で、ツルとヘチマらは焚火を囲み、レムルスの帰りを待っていた。
周囲は多くの松明が点在し、灯されていた。
炭が豊富に採れる村だから成せる、死人を避けるための工夫であった。
「で、そこのムム嬢が、剛のヒガグチって乱暴者に襲われた時だ。魂消るじゃねぇか。ワシが精魂込めて作らせた、黒樫の檻を素手でへし折って……」
そのような調子で、ヘチマはレムルスと出会ってからの一部始終を語っていった。
黒曜石のアクアボスに敗北を認めさせたくだりなどは、ハッシュの胸を熱くさせた。
「レムルスさんは、信用してもよろしいのでしょうか」
ヘチマの話を聞き終えた後、ハッシュにとって、それは願望のような思いとなっていた。
「元、とはいえ、ワシもレムルスの旦那も略奪者じゃ。この世のどこに、手放しで信用してくれる奴がおるじゃろうて」
だからして、彼とウズマキは、穴に潜っていったのであろう、と言わんばかりに、ヘチマは炭坑の入り口に向かって、ゆっくり石を投げた。
「私は恥ずかしい。穴があったら入りたいと思う。今が正に、その時であろうか」
ハッシュは剣を握り、やはりレムルスを追いかけるべく立ち上がろうとしたが、ツルに制された。
「やめな」
「聞けばレムルスほどの善良な戦士が、村のために命を賭けてくれているのです。村の人間である僕が、何もしないわけには」
「じいさんの話が本当かどうかも分からないだろう。それを戦士が、身をもって証明しようって言うんだ。汲もうじゃないか」
「しかし」
「しかしも案山子もありゃあしないよ。取引はもう成立してる。レムルスさんとウズマキちゃんが、鉄の鉱脈まで辿り着けようが、着けまいが、あたしたちは、暖かい汁の一つも用意して待ってるのが、筋ってもんだ」
「そろそろ煮えたよぉ」
緊迫した空気の中、汁作りを担当していたペロが、のんびりと発言した。
「おぉ、いい匂いじゃないか。ペロちゃん悪いねぇ、偉そうな事言っといて、あんた一人に任せちまって」
「ううん。たくさんのお野菜をもらったから、ペロも働かないと」
「いい子だね。ペロちゃんみたいないい子が懐いてるんだから、レムルスさんも悪い人では無いのだろうけど」
ハッシュ同様、ツルもレムルスを信用したかった。
しかし、村長である以上、慎重にならざるを得なかった。
「どうしたの、ムム、食べないの」
「レムルス、かわいそう」
囁くような声で、ムムが呟いた。
「かわいそう、ってのは、どういう了見じゃ」
戦士の誇りを傷つけるようなムムの言葉に、ヘチマが眉をしかめた。
「だって、レムルスは、もう剣を振りたくないのに」
ツルとハッシュはヘチマを見た。
「あぁ。旦那は、確かに、そういう所があるかもしれん。しかし、あれだけ腕を磨いた剣じゃ。捨てようにも捨てられまい」
「レムルスは、私と、靴や手袋を作って、暮らしたいだけ」
本人の居ない前で、ムムは言い切った。
静かな少女の主張に、ヘチマはそれ以上反論をしなかった。
「そろそろ、夜が明けそうですね。それにしても、このスープは美味い」
重苦しくなった空気の中、ハッシュが空を見上げた。
平原の水平線に、曙色が浮かび上がっていた。
それとなく、全員が炭坑の入り口に視線を向けると、二人が立っていた。
「レムルス、ウズマキ、おかえりぃ」
ペロが満面の笑みを浮かべ迎えたが、直後、緊張に強張った。
ウズマキは、手に鉄の鉱石を。
レムルスは、小柄な男の死体を背負っていた。

ツルの夫は、幼馴染だった。
皆が、屈強で、優しく、道を示してくれるツルを頼った。
「大丈夫かい。大丈夫かい。辛くなったら、いつでも逃げて、二人で暮らそうよ」
夫は、いつも口癖のように、ツルを心配していた。
子は生まれなかったが、ツルは幸福だった。
他の家庭で生まれてくる子供たちにも、自分が夫から与えてもらったように、逃げる場所を作ってあげたいだけだった。
「大丈夫だよ。炭坑の道に詳しい俺がみんなを案内しないと。危なくなったら、すぐに逃げるから」
後悔していた。
夫を行かせるべきではなかった。
鉄のために、村のために、決断するべきではなかった。
夫は、皆を逃がすために、最後まで一人、死人を引き付けていたと聞いた。

「あんたァ!」
ツルは、レムルスが背負った死体に抱き着き、頬ずりをし、むせび泣いた。
比較的身体の新しい死人は、なるべく顔を傷つけないようにと、ウズマキはレムルスから命じられていた。
「あんたァ、おぉぉぉぉおおお、あんたァ、あんたァ!」
夜明けの平原に、ツルの慟哭だけが、長く、遠く、響き渡っていった。