08-01 黒曜石のアクアボス

金の力は恐ろしい。
大量のエメラルドを手に入れてしまった首領は、人が変わってしまったようだった。
一言目には「金を稼げ」
二言目には「誰のおかげで食えているのだ」
誰も何も、奴隷の少女と、今は居ない奴隷上がりの剣士のおかげだろう。
黒樫のヘチマはもちろん、皆そう思っていたが、誰も口には出せなかった。
以前は、金よりも、いや、少なくても金と同程度には、仁義を重んじる男であった。
それが、レムルスが去る時などには、彼が身に着けた剣や服は全て一味が支給したものだと、裸一貫で追い出したのだ。
今では、首領にとって、エメラルドの一かけらより重いものは無いらしい。
金、いや、エメラルドの輝きは、なぜ人の心を眩ませるのだろうか。
短い秋が終わろうとしている頃、レムルスが去ってから、ヘチマは日々を感傷的に過ごしていた。
年老いたせいだろうか。
それとも、孫ほど歳が離れた奴隷の少女が、弟子が去った後も、健気に物作りを続けているからであろうか。
首領は少女に、「稼げばまたレムルスを雇おう」と、守るつもりもない約束をしていた。
少女は皮靴を、皮手袋を、黙々と作り続けていた。
しかし、何があっても減る事が無かった少女の食欲が、今では半分以下の量になっていた。
首領がレムルスの代わりに雇った剣士たちも、どうも好きになれない。
今までなら、そこまで毛嫌いする事も無かったろうが、どうしてもレムルスと比べてしまうのだった。
時節を無視して、今日はレムルスが去った日のように、うだるほど暑い。
ヘチマは、窓の外から照り付ける太陽を睨みつけ、言葉にならない毒を、ため息にして吐き出した。

「剣とは、命を奪うものだ。略奪者である我々そのものと言って良い」
新参の傭兵団、「スズラン」の旗を掲げる一味、「黒曜石のアクアボス」は、淡々と言い切った。
黒曜石は名前負けじゃろ。いいから水浴びをして来い。剣の腕よりもまず身体を磨け。
部屋に充満するすえた匂いに顔をしかめながら、いくつもの毒を、ヘチマは喉の奥に飲み込んだ。
スズランの一味は、身なりも、こびり付いた垢の層も、明らかに食い詰めた略奪者のそれであった。
塔の最上階では、アリウムの首領が主体となって、会議が行われていた。
「あの奴隷を奪われない事が肝要だ。特に夜、同士討ちは避けたいゆえ、塔の周りに壕を築こうと思うが、どうだ」
首領がまず、具体的な提案をした。
やや鼻が詰まったような声だった。
「無用。塔の入り口は二つ。我々を五人ずつ三班に分け、一班と二班は前後の入り口を、三班は塔の中で予備兵として配置して頂きたい」
アクアボスは、三班を交代制で、2つの入り口を守りたいと言った。
「スズランの、私は……」
「黒曜石でいい」
「……黒曜石の。私は貴様らの腕を信用している。しかしだ、混戦になると何が起こるか分からないのが、争いの常だ」
一回り年が若いアクアボスであったが、首領がアクアボスに気を使っているのがありありと分かった。
ヘチマは「スズランの一味」、「黒曜石のアクアボス」など、初耳であったから、怪訝な顔を隠そうともしなかった。
「黒曜石の。貴様らがより優位に戦えるよう、場を整えたいと思うのは、間違いだろうか」
「アリウムの。数的優位など、我々は必要としない。戦う時は常に1対1だ」
「であるからして、常に貴様らが1対1で戦えるための環境を整えたいのだ」
「くどいぞ」
アクアボスは剣を抜き、空を一線した。
ピュ。
音と同時に、既にアクアボスは剣を腰におさめていた。
机の上に、両断された小さな羽虫が落ちた。
老人の目では到底終えない剣の速さであった。
身なりも頭の中も垢まみれだが、どうやら剣の腕だけは確からしい。
「我々が壕であり、砦であり、城である。これ以上、スズランの誇りを傷つける発言は、控えて頂きたい」
首領は、苦い顔をしていた。
アクアボスの無礼に怒り狂わないのは、よほど安い賃金で契約したからだと、ヘチマは確信した。
「分かった。では、次の話だ。斥候が剛のレムルスに襲われたらしい」
「ほぅ。剛のレムルス。聞けば薔薇の一味だとか。是非手合わせをしてみたい」
「黒曜石の。そんな余裕がある状況では無いのだ。奴隷の女を狙って、いくつかの一味が、我々に攻め込む準備をしている、という情報がある」
派手に稼ぎ過ぎましたな。
ヘチマが毒づかなくても、一味の皆が思っている事であった。
「その上、レムルス、もとい、薔薇の一味自体と敵対するのは、どうしても避けたい。一応薔薇へ鳥は送ったが、どのような返答が来る事やら……」
どうやら首領は、レムルスと斥候の騒動が、薔薇の一味との争いに発展する事を恐れているらしい。
ヘチマは、レムルスと斥候との間に何があったのかは知る由もないが、彼の一存だと思っていた。
薔薇が名を馳せているのは、契約と仁義を重んじる一味であったからだ。
いくらレムルスとの契約を終了したからといって、途端に一味全体が敵対姿勢を取るなど、考え難い。
何もかも、疑い深くなってしまうのは、やはりエメラルドの魔力なのだろうか。
「くふふ、面白い。有象無象の奴らどもよりも、薔薇の一味が相手であれば、なおよし」
黒曜石のアクアボスはうそぶいた。
良くねぇって若造。無いとは思うけんども、レムルスの旦那みたいなんが数十人も来たら、たまんねぇや。
ヘチマは口の中でモゴモゴと、毒づいた。
その時。
「レムルスだ! 剛のレムルスが来たぞ!!」
下で若い一味の叫び声が聞こえた。
檻の中で狸寝入りを決め込んでいた奴隷の少女が、飛び起きた。

08-02 物作りの喜びに

石の剣を構えた略奪者ども。
一人一人が、ウズマキから大事な仲間、ムムを奪った敵だった。
ウズマキの傍らにいるレムルスも、一時はその一味であった。
だが、ウズマキには、レムルスを疑うという発想が、もう無かった。
ムムは生きている。
あの日、翌朝、レムルスは、ムムが編んだ草紐をウズマキとペロに差し出し、持てる言葉の限りを尽くし、説明をした。
ペロはムムが生きていると分かっただけで、ずっと喜びの涙を流していた。
ウズマキは、あの日の事を思い出すだけで、こんな時だというのに、彼に一晩中撫でられていた肩が、熱く火照った。
レムルスの提案に従い、ペロを置き、略奪者の拠点へ、二人は乗り込んでいた。

「アリウムの首領と話しがしたい」
レムルスが略奪者の言語で、男たちへ呼びかけた。
「剛のレムルス、何故我々を襲った!」
「裏切者のレムルス!!」
男たちは次々に、レムルスへ罵声を浴びせた。
ウズマキは、略奪者どもの言葉は理解できないが、言い返したい、手に持った槍で叩き伏せたい衝動に駆られた。
しかし、師であるレムルスから、全て彼に任せること、また、戦いとなっても、決して殺してはならない事を、約束させられていた。
ウズマキは、自分たちを囲んでいる男たちの数を数えた。
三十を少し越えている。
良く観察すると、アリウムの印を付けている男たちの中に、スズランの印を付けている男たちが混じっていた。
スズランの男たちは身なりがひどく汚れており、一歩後ろに下がって、剣も抜かず、状況を楽しんでいるようにも、興味深く眺めているようにも見えた。
ウズマキは、剣を抜いてレムルスに声だけをがなりたてるアリウムの男たちよりも、スズランの男たちを警戒した。
「おや、何の騒ぎかと思えば、剛のレムルスではないか」
塔の中から、数人の男たちが出て来た。
レムルスの名を呼んだ男。
この男がアリウムの首領だと、ウズマキは確信した。
身に着けた上等な皮靴と皮手袋は、レムルスに聞いた通り、ムムが作った物で、間違いない。
「ふむ。強いな」
続いて塔から出てきた若い男は、ウズマキが居る場所まで体臭が漂ってきそうなほど、薄汚れていた。
だが、ウズマキは本能で感じとった。
レムルスを見ただけで強いと断じたあの男こそ、相当に強い。
胸板はレムルスの倍ほどに盛り上がっており、獰猛かつ強靭な山羊を思わせた。

「首領。すまない」
「レムルス。私はお前から、何か謝られるような事をされたのかな」
「アリウムの仲間を傷つけた」
「そうか。事実であったか。薔薇の指示か?」
「いや、俺が勝手にやっている事だ。薔薇の一味は関係ない」
「ふむ……ふふふ、しかし、遅かったなレムルス。既に、薔薇へこの事は伝えているぞ」
「やむを得ぬ」
「やむを得ぬ!? 貴様は、契約を終えたとはいえ、直前までの雇い主を裏切ったのだぞ! お前は薔薇の一味から制裁を受ける、必ずお前は死ぬ、もしこの場を逃れてもな!」
ウズマキは、首領の言葉を理解できていなかったが、何か不吉な事を言われているのは分かった。
「今! 切り刻め! 今! 切り刻め!」
アリウムの男たちが激高し、強く足踏み、連呼する。
多勢だと思い、甘くみおって。
ウズマキは臆する事なく、身をかがめて呻った。
「それで、謝罪の代わりに、連れている女の奴隷を差し出そうとでも言うのか?」
「いや、彼女は奴隷ではない。友人だ」
「はは、奴隷の友人は奴隷か。では、話は終わりだな」
首領が手を挙げ、男たちが剣を構え直した。
だが、身体を汚したスズランの男たちは、剣を抜こうともしない。
それを確認してか、首領はやや不満そうな顔をした。
「いや、話は終わりではない。彼女を、ムムを、解放してほしい」
レムルスの静かな要求は、場を静寂に支配させた。
首領は手を挙げたまま、呆然としていた。
誰かが笑い、次第にその波紋が広がっていく。
「頼む、首領。彼女を介抱してくれ。取引材料はある」
「ははは、あぁ、ははは。ふんッ……聞くだけ聞こう」
レムルスは、背嚢から大きな塊を取り出した。
それは、アメジストの鉱石であった。
「……おぉ」
周囲の反応が一変する。
「これだけではない。さらに多くのアメジストが眠っている場所を、案内する」
レムルスは、ペロとウズマキに許可を得ていた。
略奪者と交渉をするという発想も力も無かった二人は、ムムが戻ってくるのであれば、と、レムルスの提案に従った。
「それには、薔薇への釈明も、含まれているのか」
「そう願いたい」
「少し考える。待て」
アリウムの首領は、石の上に腰を下ろした。
首領が薔薇へレムルスの釈明をしなければ、レムルスは薔薇から命を狙われる。
だからこそ、レムルスの話を、首領は信用できた。
レムルスは、首領の性格を知った上での、交渉をしていた。
首領は、物市で少女の作る物は評判となりつつあり、護衛の剣士を今以上雇う金も、惜しかった。
目の前の鉱石だけでも、奴隷の少女と引き換えにするのを悩むほどの大きさだった。
それが大量となれば…………首領の中で、選択肢が限られていった。
「ガキの解放は、アメジストの鉱脈を確かめてからで良いのだな?」
「無論」
「決まりだ」
首領の一言で場の熱気は急速に冷め、幾人かの男たちは、剣を下ろし始めた。

「待てぃ! 待て待て待て、待てぇ!」
ひと際薄汚い、狂暴な山羊を思わせる男が、堂々と間に入ってきた。
ウズマキはもちろん、レムルスの間合いだったので、ウズマキはレムルスの顔を見たが、首を振るだけだった。
「剛のレムルス! 我は黒曜石のアクアボス、貴様との一騎打ちを所望する! 我と立ち会う勇気はあるか!」
「黒曜石の! レムルスとの話はもうついた。決闘など無用だ!」
「首領、何をぬるい事を。勝利した方が、奴隷の少女も、アメジストも、総取りで良いではないか!?」
一瞬、首領の瞳に、欲の炎がチラついた。
また、アクアボスの言葉によって、場に熱気が戻りつつあった。
「だが、私は『決まりだ』と言ってしまった。既に取引は成立している。それを私から破る事はできない」
私が、という部分を、やや首領は強調して聞かせた。
「であれば、剛のレムルスが許可をすれば、首領は受け入れるのだな」
「勝てるのか? 薔薇の一味、剛のレムルスに」
「ふふふ……俺ほどの剣使いになれば、見ただけで実力は分かる。名の通り、細身の割に腕力はありそうだが、せいぜい剣は中の上と言った所だろう」
「して、貴様の実力は?」
「上の上なり」
「……よし、黒曜石の、貴様に任せよう」
「聞いたか、剛のレムルス! 受けるか、受けぬか、如何!」
レムルスはやや考えた後に、頷いた。
「誰か、剣をレムルスに」
アクアボスがそう求めると、若い略奪者が、研ぎの甘い刃こぼれだらけの石の剣を、レムルスに投げつけた。
レムルスはそれを難なく受け取り、ゆったりと構えた。
「……………………」
その場に居る、略奪者全員と、ウズマキが、絶句した。
レムルスの、剣を構えるまでの短い所作を見て。
「美しい」
ため息を飲み込んで吐き出したその感動は、ウズマキにとって、初めて芽生えたものであった。
剣を知らない者には、ただただ「美しい」と思わせる、姿であった。
だが、対面しているアクアボスは、剣を知る者であったから、その構えが、何万回、何十万回、否、それ以上に、剣を振り尽くさねばできぬものだと、即座に理解できた。
「…………参った。私の負けだ」
アクアボスは、レムルスの前に自らの剣を置き、首を垂れた。
「なッ、なッ、なッ、なッ」
当然、うろたえるのはアリウムの首領であった。
「何を言ってるんだお前は! 自分で勝手に一騎打ちしたいと名乗り出て、剣を交えもしないうちから降参しおって!」
「首領、すまぬがレムルス殿の剣は、達人の域をはるかに超えている。上の上の上と言った所か」
「ふざけるな!! 何なのだお前は!! 何がやりたかったのだ! 馬鹿野郎!!! 野郎ども! 殺せ! レムルスを殺せぇ!!!」
「我々の勝負を軽んじるかッ。スズランの一味、レムルス殿を守れぇ!!」
大混戦が始まった。

数の上では、アリウムの一味がはるかに勝っていたが、スズランの一味は全員が手練れであった。
レムルスやウズマキがまともに参戦する間も無く、数人が打ち倒されると、アリウムの一味は首領を含め四散した。
「レムルス! アクアボス! 覚えていろよ!」
レムルスはそう言いたくなる首領の気持ちも、僅かながら理解ができた。
「まとまった賃金をもらえぬまま、また雇い主を失ってしまったよ」
レムルスの傍らで、アクアボスは、本気で落ち込んでいるようだった。
「我は、剣は得意なのだが、金を稼ぐ事はどうも苦手なようだ。だいたい、いたいけな少女を奴隷として働かせる事自体、どうもあの首領は好きになれなかった」
およそ略奪者らしからぬ事を、アクアボスは言ってのけた。
若く、不器用で、真っすぐな男なのであろう。
そう思ったレムルスも、アクアボスより少し上程度の歳であったが。
「ウズマキ! レムルス!!」
「ムム!!?」
ムムが、塔の中から飛び出して来た。
ウズマキは、目から大粒の涙を流して、ムムに向かって駆けた。
二度と会えないと思っていた。
ようやく会えた。
ペロが喜ぶ。
何より、ウズマキ自身、全身が打ち震えるほど、嬉しかった。
しかし、ムムはウズマキの肩をポンと叩いただけですり抜け、レムルスへ飛びつくようにして、抱き着いた。
「バカッ、バカッ、レムルスのバカ…………! 私のために、薔薇の一味から命を狙われるのに………!」
ウズマキが聞き慣れた、囁くような、しかし聞いた事も無いような、ムムの激しい声だった。
「師匠。どうにもならなかったのです。師匠と出会って、物作りの喜びを知って。ウズマキと、ペロと出会って。二人がどれだけ、師匠を想っていたかを知って」
ムムを抱きしめようとしていたウズマキは、両手を広げた姿勢のまま、首だけを振り向かせ、二人の様を目撃していた。
「私は、この選択肢以外、どうにもならなかったのです」
「いい、いい。もういいの、レムルス、ありがとう……!」
二人が使っていたのは自分たちの言語であったから、ウズマキは十分に、言葉だけは理解できた。
そこに、ムムの牢を開けたヘチマが姿を現した。
「よかった。よかったなぁ、レムルスの旦那」
黒樫のヘチマは涙ぐんでいた。
「レムルス殿と少女殿は、そういう関係だったのか。ふむ、我々も役に立ったという事なら、万事良かった」
黒曜石のアクアボスは、勝手に納得していた。
「こいつら、本当に何のだッ。何がどうなっているのか、私に説明しろムム! マスター!」
ウズマキは、ムムとレムルスに向かって、力強く駆けていった。

───鋼鉄のレムルス 第1部 了