03-02 再会

水路の出口は、蓋で閉じられていなかった。
ウズマキは這いずって水面から身体を出した。
ムムを奪われた日の翌朝と同じくらい、水に濡れた身体は重かった。
しかし、今のそれは精神的なものではなく、ただただ肉体が、疲労していたからだった。
「ウズマキ!」
今はたった一人残った、仲間の声。
自分の名を呼んだペロの声には、強い喜びの感情があった。
だが同時に、いつも以上のか細さを、ウズマキは感じた。
自分がしばらく戻らなかったのだから、不安だったのだろう。
ウズマキは勝手にそう信じ込んだ。
疲労で顔を上げられぬまま、ウズマキはペロに、次々と指示を出した。
「毒蜘蛛の、薬草を、用意してくれ。入り口に、毒に犯された、男が居る。信用できる。私の夫になるかもしれない、男だ」
尋常無く必死な様子のウズマキを見て、冷静に、動揺をしないよう、心構えをしていたペロであった。
しかし、言葉を最後まで聞き終えた後には、驚愕で高速の瞬きを繰り返さねばならなかった。
「わわわ、分かった。緑クモの毒だね。その男の人は、身体が大きい? それなら、2人分は調合しないと」
ウズマキを安心させるために、ペロは理解できた指示のみを、まずは片付けようと思った。
「3人分だ」
ペロは緊張で身体を固くした。
どんな大男なのだろうと、不安になった。
「大丈夫だ。レムルスは、他の男たちとは、違う」
地面に顔を突っ伏したまま、ウズマキはペロの緊張に気づき、解こうとした。
「……分かった。3人分だねッ」
ペロは、かつてのウズマキと同じ、男というものを全く信用していなかった。
だが、それ以上に、真剣なウズマキの言葉を疑う事はできなかった。
ガサ、ガサガサ……パッ、パッ、パサッ、パッ……ゴリ……ゴリ……。
ウズマキの耳に、ペロが蓄えていた薬草を調合する音が聞こえる。
いつもながら迷いが無く、手際が良い。
しかし、自分の気が逸っているせいか、少しのんびりしすぎではないかと、ウズマキは思った。
「急いで、くれ。レムルスは、男だけど、大丈夫、だから」
「ご、ごめん。大急ぎだね。分かった」
ウズマキの意識は、疲労で朦朧としていた。
やがてペロが奏でる調合の音に安心し、目を閉じた途端に、強烈な睡魔に襲われた。
ペロならレムルスを任せられる。
ウズマキは逆らう事無く、意識を失った。


「バカ!!!」
ウズマキの怒鳴り声を、ペロは甘んじて受け入れようと、覚悟をしていたようであった。
しかしウズマキの、あまりにも強い剣幕を、ペロは受け止めきれず、思わず大きく首をすくめ、涙を滲ませた。
「あれだけ、一日に必要な分は、蓄えを食べて過ごせと約束したのに!」
「ごめんなさいッ、ごめんなさいッ」
「ふん! どうせ、また私が手ぶらで帰ってくるとでも、思ってたのだろう!」
「ち、違うもん。でも、もし、だよ? もしも、ウズマキが帰って来て、お腹空いてるのに、何も無かったら……って」
「ペロ! おッ、まッ、えッの、そういう、とっ、こっ、がっ、私の誇りを傷つけているって、何度言えばわかるのだ!」
水路を抜けた先の寝床で、ウズマキが長い睡眠の後に目を覚ますと、ペロの姿は無かった。
水路を戻り、拠点の入り口側に出ると、すぐにペロと遭遇した。
レムルスの姿を探したが、見当たらなかった。
ペロから、無事レムルスの毒が抜けつつある事と、レムルスが昨晩泊まった小さな岩穴へ荷物を取りに戻った事を聞き、安心した。
その時、ウズマキはようやく気がついた。
瘦せこけたペロの姿。
それを見て、ウズマキの怒りが爆発したのだった。
「もう、いいから、黙ってじっとしていろ! 泣くな!!」
泣きたいのは私の方だ、と、ウズマキは言いたかった。
ほとんど、蓄えを口にしていないのだろう。
空腹によって、ただでさえ細いペロの手足と頬の肉は、一回りも二回りも削ぎ落されており、浮いたあばらが痛々しい。
実際、レムルスが居なければ、ペロの言った通り、何も調達できず、戻らざるを得なかっただろう。
否、自分はここまで帰る事すらできず、自分を待つペロと共倒れすら、有りえた。
自分を慮ってくれたペロの優しさに。
飢えた身体でもレムルスを快方してくれたペロの強さに。
そしてレムルスと出会えた幸運に。
ウズマキは涙を流すのを、必死にこらえなければならなかった。
そのような事よりも、と、ウズマキは、水路奥の寝床にある、ペロが無理に節約した蓄えを、急ぎ取りに戻ろうとした時。
「レムルス!」
ペロが戻って来たレムルスの姿を見て、安心しきったような声で叫んだ。
それが少し、ウズマキにとっては複雑だった。
自分が眠っている間の事は、まだ詳しく聞けていない。
レムルスは、たくさんのリンゴとストロベリーが詰まった背嚢を2つ、難なくここまで運んで来た。
「わぁ……レムルス、すごいね。力持ちだね」
ペロは目を細くして、レムルスの膂力に感心をしていた。
「ペロ、お前はそれどころじゃないだろう。早くリンゴを食べろ。いや、まずはストロベリーの方が柔らかくていい」
「りんご? すとろべりー?」
「あぁ、レムルスが持っている荷物の中は、全て食料だ。私とレムルスが、二人で採ったんだ」
ウズマキは胸を逸らし、やや、二人で、という部分を強調した。
「すごいねぇ。ウズマキは、すごいねぇ。レムルスも、すごいねぇ」
レムルスが、丁寧に荷物を、ウズマキとペロの前に置いた。
「さぁ、まずは食べよう。レムルスも、無理はしていないか? 毒だって、まだ抜けきっていないだろう?」
「大丈夫だよ。ね。レムルス」
レムルスは、大きく頷いた。
ウズマキは、ペロの毒抜きに関する手際を誇らしく思いつつ、また複雑な気持ちになったので、軽くペロの肩を小突いてしまった。
「むぅ。ウズマキは、そうやってすぐペロのこと、叩く」
「レムルスを信用しろとは言ったのは私だが、お前は少し素直すぎる。男を簡単に信用するな」
「ウズマキの言う事は、いつも難しいんだよぅ」
「いいから早く食べろ。これがストロベリーだ」
ペロは、慎重に、ストロベリーを口に入れ、咀嚼した。目がゆっくりと細く、垂れ下がっていく。
「もぐもぐ……すごいねぇ。すとろべりー。とても甘くて、おいしいねぇ」
「たくさんあるぞ。腹いっぱいになるまで食べろ」
「うれしいねぇ。ウズマキが帰って来てくれて、うれしいねぇ……」
ペロが、大粒の涙をこぼし始めた。
ウズマキも、目的を果たした達成感や、ペロとレムルスへの感謝が混ぜこぜになり、もらい泣きをしそうになったが、ぐッと堪える。
「……レムルス。改めて紹介する。この泣き虫がペロだ。薬草の調合や食料の保存以外は、頼りない奴だが、よろしく頼む」
「ひどいねぇ、ウズマキは、口が悪いねぇ……もぐもぐ、おいしいねぇ……」
レムルスはそんな二人を、穏やかな口元と視線で眺めていた。