10-01 試合

「マスター、村だッ」
最も目が良いウズマキが、村を一番最初に発見した。
「なんでぇ、ひと月じゃと聞いていたのに、まだ二十日も経っておらんじゃろう。本当にツルの村かえ」
自らの健脚を誇るヘチマであったが、ウズマキを追いかけて小さな丘の上に登った後は、その場にへたりこんだ。
何はともあれ、季節を二つ越え、旅の目的である村に、初めて辿り着いたのだ。
「まだ燃えとらんようじゃの。何よりじゃて」
ツルの村は、周りを広大な木の柵に囲まれていた。
住まう住まわないは別として、まずは屋根のある家で熱い茶でもすすりたいというのが、ヘチマの本音であった。
「わぁ。水浴び、できるかなぁ」
ペロが珍しく、草摘み以外でしたい事を口に出した。
「ペロ。私の頭、洗ってね。村を見てたらかゆくなってきた」
「いいよぉ。でも、あんな大きな村に入れてもらえるのかなぁ」
レムルスは、リョウからもらった添え書きを手にしていたが、実際にどうなるかは未知数であった。
ただ、状況はどうであれ、好戦的な村よりも、友好的な人々が多い村であれば、と願っていた。
「レムルスは、私の身体を洗ってね」
「もぉ、ムム、そういうこと言うと、またウズマキに怒られるよぉ」
「だって、私、頑張ったし」
「師匠、あれだけの村であれば、風呂に入れるかもしれません」
「フロ?」
ムムは、レムルスが師の命から逃れるために、話題を逸らしていると気づいていたので、素直に眉をひそめた。
「風呂とは、大きな木の桶などに、沸かした水を入れたものです」
「えぇ、そんなのに入ったら、芋汁になっちゃうよぉ」
「ペロ、火傷をしない温度に調整してあるから、大丈夫だ」
「じゃあ、レムルスと一緒に入る」
「師匠。湖の時も言いましたが、若い男女が、水浴びや風呂を共にはできません」
「はぁ、また見るだけかぁ。レムルスの身体、綺麗だから好きなのに」
湖のあの時、やはり感じていた視線はムムたちであったと、レムルスは今さら教えられた。
「見るのも駄目です。それは覗きと言って、村の法よっては罰せられる事もあるでしょう」
「面倒くさいね、村」
「多くの人と人とが暮らしていくのです。仕方がないのです」

「マスター、あれは、何をしているのだろう」
ウズマキは、柵の外で、数十人の男たちが、剣を素振りしているのを眺めていた。
「戦いの訓練だ」
「ふーん」
男たちは旅人に慣れているようで、レムルスらに気づいていたが、訓練を止める事は無かった。
むしろ、自分たちの勇姿をウズマキらに見せつけようと、やや熱がこもっているようにも感じられた。
その内、訓練の工程がひと段落したようで、皆の前で剣の型を披露していた若い男が、レムルスたちに近づいてきた。
「やぁ。僕は隊長のハッシュ。あなたたちは村にどんな用事なのだろうか」
「私はレムルス。取引が希望だが、可能であれば村長と話がしたい」
レムルスは、想定よりもはるかに友好的なハッシュに胸を撫で下ろし、リョウの添え書きを見せた。
「なんとまぁ、リョウの。あの旅商人は、元気にしてるだろうか」
レムルスの返事を待たず、ハッシュは遠くに居る門番へ叫んだ。
「おーい! 旅人が村長と話をしたいそうだ! 僕が案内をする!」
門番は槍を上げてハッシュの声に応えた。
「ハッシュ殿。かたじけない」
レムルスは丁寧に礼をした。
「レムルス殿。代わりに、というか、これは、もしよかったら、なのだけど」
少年の面影を残した隊長は、もじもじとして、ウズマキの方を見た。
「あなたの連れている少女の名前を、教えてほしい。自分でも驚いているのだが、どうやら僕は、彼女に一目ぼれをしてしまったようだ」

「はてさて、思ったより簡単に事が進んだと思えば、思ったより面倒臭い事になったのぅ」
ヘチマは特等席を陣取り、楽しそうに眺めていた。
ハッシュは剣を、ウズマキは短く槍を構え、対峙している。
「おぉ」
男たちはどよめいた。
それは、ウズマキの構えが、堂に入っていたからであった。
臆する事無く、ハッシュはウズマキの顔を見つめながら、ニコリと微笑んだ。
挑発とも取られかねないハッシュのそれを、ウズマキは静かに無視をした。
「旦那、ウズマキの嬢ちゃんにゃ、加減するように言ってるかい」
レムルスは無言のまま、上げた手を前に下ろした。
それは、試合開始の合図であった。
想定よりも使えそうな少女に向かって、ハッシュが慎重に重心を前にかける。
パンッ。
鋭く踏み込んだウズマキが、最小限度の動きのみで、ハッシュの持つ剣を叩き落とした。
「へッ」
ウズマキの動きを目で追えず、何が起こったのか分からないハッシュが、落ちた剣を拾おうとした時。
既にウズマキは、槍の先端をハッシュの喉元へ突きつけていた。
「悪いが、私は自分より弱い男の嫁になるつもりは無い。諦めてくれ」
レムルスが通訳をすると、ハッシュは肩を落とした。
しかし、頭を振った後には、気持ちの良い顔になっていた。
「驚いた。僕よりも強い君は、間違いなく、この村で一番強い戦士だよ」
「だってよ、旦那」
ハッシュたちの訓練は、ただ剣を思いのままに振っていただけで、実戦を想定したものではなかった。
ウズマキは、レムルスとの訓練と旅で、何度も死線を越えており、既に、ハッシュたちが逆立ちしても敵う事の無い実力を手にしていた。
「ウズマキ、僕は誓う。君のために強くなる。それまでどうか、待っていてほしい」
レムルスが通訳をすると、ウズマキはレムルスに向かって怒鳴った。
「マスター! 自分の女が他の男から口説かれているのに、さっきからその態度はなんなんだ!」
その言葉は、レムルスがハッシュに伝える事など、到底できなかった。

10-2 ツルの村

「ねぇ、ハッシュはウズマキのどこが気に入ったの」
「立ち振る舞いと、顔かな」
「あぁいう顔が好きなの?」
「そうだね。あぁいう顔が好きなんだ。ウズマキさんは、特に瞳が綺麗だ」
珍しく、ムムが自分から他者と会話をしている。
レムルスは、ムムが最も性格的に、村へ溶け込みにくいと思っていた。
だが、思わぬ師の社交性を見る事ができ、ほっと胸を撫でおろした。
「ふぅん。ハッシュは趣味が悪いんだね」
「そうかな。自分では面食いのつもりなんだけど」
「ウズマキはね、レムルスが好きなの。でも、レムルスは私が好きなの」
「へぇ。つまり、ムムさんは、何が言いたいんだい」
「ウズマキが好きなハッシュは、一番下にいるってこと」
「初対面の人に、あまりこういう事は言いたく無いのだけど、君は性格に難があるね」
カカカ、とヘチマが高く笑った。
ハッシュは苦笑いをし、肩をすくめた。
気の良い青年であった。
「ハッシュ殿。村長は、どのような方であろうか」
明らかに雲行きがおかしくなった話題を打ち切るために、レムルスがハッシュに問うた。
「レムルスさん。もうすぐ炭坑に着きます。ここまで来れば、説明するより見てもらった方が早いかと」
「ご案内、感謝する」
「村の中で一服できるかと思えば、ぐるっと外回り。なかなか思うようにはいかないねぇ」
広大な村を、恨めしそうにヘチマは見た。
「ヘチマさんは先に村へ入りますか。ご希望であれば宿を紹介しますが」
「いいや。旦那の側にゃ、この、黒樫のヘチマが付いていねぇとな」
「レムルスさんは、みんなに慕われているのですね」
「大きな声じゃ言えねぇが、剛のレムルスって聞けば、そこいらの略奪者らは尻まくって逃げちまうぜ」
「ヘチマ殿。私に、そのような実力はない」
「よく言う。黒曜石の小僧を、構えだけで負かしたってぇのに」
レムルスとヘチマのやり取りを、ハッシュは真剣な眼差しで眺めていた。
「レムルスさんは、ウズマキさんの師、なのですよね。どれだけお強いのか、想像もつきません」
レムルスは、買い被りだと言わんばかりに、首を振った。
「そうこうしている内に、炭坑へ着いたようです。朝、一番最初に穴へと潜り、仕事を終えると、一番最後に出て来るのが、ほら、村長のおツルさんです」

「あらまぁ、ハッシュ、可愛いお嬢ちゃんたちを連れて。飴食べるかい」
「おツルさん。レムルスさんたちは、取引が目的で、この村に来られたそうです。リョウの紹介状をお持ちでした」
「いーい男じゃないか。その剣は、リョウから買ったものだね。こんな格好で恥ずかしいねぇ。飴食べるかい」
おツルは、筋骨隆々とした巨躯を持つ熟女であった。
特に尻が豊満で、ヘチマなどは思わず二度見してしまったほどであった。
互いに自己紹介を終えると、ハッシュが口を開いて真剣な声を出した。
「おツルさん。こちらのウズマキさんは、手合わせをした所、私をはるかに越える武の持ち主でした。レムルスさんは、ウズマキさんの師だそうです」
「こらハッシュ、お前、お嬢さん相手に剣を振るったのかいッ」
「いや、その、振るう間も無く、負けてしまったわけなのですが」
「そういう事を言ってるんじゃない! こんな小さい子に剣を向けるのが、男らしくないって言ってるのだよ!」
「ま、まぁ、その、ごめんなさい」
「あたしじゃなくて、嬢ちゃんに謝りなッ」
「ウズマキさん、申し訳ない」
「おツル殿、気づかいはありがたいが、ハッシュ殿と私の勝負は、れっきとした試合であった」
レムルスが互いの言葉を通訳していた。
「あたしが目的としてるのはね、男であれ、女であれ、あんたみたいな小さな子が戦わなくてすむ村作りなんだよ」
おツルが言い切った。
ヘチマは、なるほど、飴のように甘い、と思った。
「話が逸れましたが、レムルスさんたちに、鉄の採掘にご協力頂けるよう、おツルさんからもお願いして頂けないでしょうか」
ハッシュはツルに睨まれながらも、懸命に状況をレムルスらに説明をした。
炭坑の奥には鉄がある。
だが、死人の巣窟となっており、手が出せない。
死人を一掃するための決死隊を、ハッシュは募っていた。
それに、レムルスらも参加して欲しい、と。
「駄目だ。あの道は、もう開かないよ。人が太刀打ちできる数じゃないんだ」
「おツルさん、気長に構えている時間は無いのです。鉄を手に入れないと、村に未来はありません」
「今掘っている石炭で十分だよ。もう、これ以上、死人の数を増やしたくないんだ。あたしは」
「私一人でも向かう覚悟です」
「聞きたくないね。尻を叩かれたいのかい」
「おツルさん!」
ハッシュは一歩も引かず、ツルに向き合った。
その間に、レムルスが静かに入った。
「ハッシュ殿、おツル殿、私とウズマキの二人に、その役割を、担わせて頂けないだろうか」
「……は? レムルスさんとやら、あたしの話を聞いていなかったのかい。子供は戦わせないし、大人だって死なせたくないんだ」
ゆっくりとレムルスは頷き、足元の石を拾い始めた。
「なンだい。あんたまさか、その石で死人と戦おうっていうのかい」
瞬間、レムルスが土壁に向かって石を投げた。
ドシュ。
その場にいる全員が想像もつかないような轟音を発し、石が土壁に深くめりこんだ。
「そ、そんな、少しぐらい、石を投げるのが上手いからって」
ウズマキが、レムルスに向かって、足元に転がっていた木のツルハシを、勢いよく投げた。
だが、レムルスの手前で、ツルハシは4つに分かれ、落ちた。
ウズマキ以外誰も、レムルスが石の剣を抜いた動きすら、見えなかった。
「おツル殿。私とウズマキは戦士。取引として、目的を達すれば、この村に住まわせてほしい」
本物の戦士を目の前にして、おツルとハッシュは、唾をのむ事しかできなかった。

「レムルスさん、ウズマキさん、ご武運を」
閉鎖していた道を男たちが開き、残るハッシュが頭を下げた。
最後までハッシュは同行を願い出たが、レムルスが拒否をした。
今、レムルスとウズマキの二人だけが、狭い炭坑を奥へ奥へと、身を屈めながら進んでいる。
「マスター、私は驚いた。私も、置いていかれると思ってたから」
「そうか」
レムルスは短く答え、天板の強度を確かめながら、慎重に進んでいく。
「ウズマキ、おツル殿が言っていた、子供が戦わなくても良い村作りとは、甘いと思うか」
「甘い、と思う」
「私もそう思う。だが、おツルどのが言うような村作りに、私も協力したくなったのだ」
「ではなぜ、私を連れてきた」
「そうだ。私はお前が必要だから連れてきてしまった。だから私は間違っている」
二人は無言になった。
しばらくして、ウズマキは、そっと、前を進むレムルスの背に触れた。
「マスター。私が、今どれだけ嬉しいか、分からないだろうな」

10-3 炭坑の朝

「薔薇の一味だってえ!?」
ツルは巨体を飛び上がらせて驚いた。
ハッシュなどは、明かりに照らされた顔が真っ青になっている。
「だから今は『元』、だって言っとるじゃろう。ワシもあの時は驚いたさ。だが、聞けば奴隷上がり。それにしたって、何とも頼りねぇ旦那が雇われたと思った」
炭坑の入り口で、ツルとヘチマらは焚火を囲み、レムルスの帰りを待っていた。
周囲は多くの松明が点在し、灯されていた。
炭が豊富に採れる村だから成せる、死人を避けるための工夫であった。
「で、そこのムム嬢が、剛のヒガグチって乱暴者に襲われた時だ。魂消るじゃねぇか。ワシが精魂込めて作らせた、黒樫の檻を素手でへし折って……」
そのような調子で、ヘチマはレムルスと出会ってからの一部始終を語っていった。
黒曜石のアクアボスに敗北を認めさせたくだりなどは、ハッシュの胸を熱くさせた。
「レムルスさんは、信用してもよろしいのでしょうか」
ヘチマの話を聞き終えた後、ハッシュにとって、それは願望のような思いとなっていた。
「元、とはいえ、ワシもレムルスの旦那も略奪者じゃ。この世のどこに、手放しで信用してくれる奴がおるじゃろうて」
だからして、彼とウズマキは、穴に潜っていったのであろう、と言わんばかりに、ヘチマは炭坑の入り口に向かって、ゆっくり石を投げた。
「私は恥ずかしい。穴があったら入りたいと思う。今が正に、その時であろうか」
ハッシュは剣を握り、やはりレムルスを追いかけるべく立ち上がろうとしたが、ツルに制された。
「やめな」
「聞けばレムルスほどの善良な戦士が、村のために命を賭けてくれているのです。村の人間である僕が、何もしないわけには」
「じいさんの話が本当かどうかも分からないだろう。それを戦士が、身をもって証明しようって言うんだ。汲もうじゃないか」
「しかし」
「しかしも案山子もありゃあしないよ。取引はもう成立してる。レムルスさんとウズマキちゃんが、鉄の鉱脈まで辿り着けようが、着けまいが、あたしたちは、暖かい汁の一つも用意して待ってるのが、筋ってもんだ」
「そろそろ煮えたよぉ」
緊迫した空気の中、汁作りを担当していたペロが、のんびりと発言した。
「おぉ、いい匂いじゃないか。ペロちゃん悪いねぇ、偉そうな事言っといて、あんた一人に任せちまって」
「ううん。たくさんのお野菜をもらったから、ペロも働かないと」
「いい子だね。ペロちゃんみたいないい子が懐いてるんだから、レムルスさんも悪い人では無いのだろうけど」
ハッシュ同様、ツルもレムルスを信用したかった。
しかし、村長である以上、慎重にならざるを得なかった。
「どうしたの、ムム、食べないの」
「レムルス、かわいそう」
囁くような声で、ムムが呟いた。
「かわいそう、ってのは、どういう了見じゃ」
戦士の誇りを傷つけるようなムムの言葉に、ヘチマが眉をしかめた。
「だって、レムルスは、もう剣を振りたくないのに」
ツルとハッシュはヘチマを見た。
「あぁ。旦那は、確かに、そういう所があるかもしれん。しかし、あれだけ腕を磨いた剣じゃ。捨てようにも捨てられまい」
「レムルスは、私と、靴や手袋を作って、暮らしたいだけ」
本人の居ない前で、ムムは言い切った。
静かな少女の主張に、ヘチマはそれ以上反論をしなかった。
「そろそろ、夜が明けそうですね。それにしても、このスープは美味い」
重苦しくなった空気の中、ハッシュが空を見上げた。
平原の水平線に、曙色が浮かび上がっていた。
それとなく、全員が炭坑の入り口に視線を向けると、二人が立っていた。
「レムルス、ウズマキ、おかえりぃ」
ペロが満面の笑みを浮かべ迎えたが、直後、緊張に強張った。
ウズマキは、手に鉄の鉱石を。
レムルスは、小柄な男の死体を背負っていた。

ツルの夫は、幼馴染だった。
皆が、屈強で、優しく、道を示してくれるツルを頼った。
「大丈夫かい。大丈夫かい。辛くなったら、いつでも逃げて、二人で暮らそうよ」
夫は、いつも口癖のように、ツルを心配していた。
子は生まれなかったが、ツルは幸福だった。
他の家庭で生まれてくる子供たちにも、自分が夫から与えてもらったように、逃げる場所を作ってあげたいだけだった。
「大丈夫だよ。炭坑の道に詳しい俺がみんなを案内しないと。危なくなったら、すぐに逃げるから」
後悔していた。
夫を行かせるべきではなかった。
鉄のために、村のために、決断するべきではなかった。
夫は、皆を逃がすために、最後まで一人、死人を引き付けていたと聞いた。

「あんたァ!」
ツルは、レムルスが背負った死体に抱き着き、頬ずりをし、むせび泣いた。
比較的身体の新しい死人は、なるべく顔を傷つけないようにと、ウズマキはレムルスから命じられていた。
「あんたァ、おぉぉぉぉおおお、あんたァ、あんたァ!」
夜明けの平原に、ツルの慟哭だけが、長く、遠く、響き渡っていった。