夜が明ける前に、男は目を覚ました。
枯草の上に布を敷いたベッドは、深い眠りへと誘ってくれるものの、まだ慣れる事はできない。
身体を起こし、部屋の片隅に置かれた水瓶で、顔を洗う。
干した布で顔を拭く。
机に置いた目の粗い麻布の服と、黒い仮面を手にし、身に着ける。
男は小考する。
その後、僅かに首を振り、石の剣を持ち、足音を立てぬよう外に出る。
振り返ると、同じ寸法で建てられた家が連なっていた。
建物の周囲は、松明が等間隔で配置され、煌々と照らされている。
誰かが起きている気配は無い。
皆、日々を懸命に生きているからであった。
レムルスは石の剣を腰に差し、静かに、だが、狼をも圧倒する速度で駆けていった。
教会の裏には、荒涼とした墓地が広がっていた。
辿り着いたレムルスは、石の剣を抜き、呼吸を即座に整えた。
一度、二度、三度、剣を振る。
それが百を超え、二百を超えても、次の一振りは、前の一振りを越えんばかりの気迫で、振り続けた。
千を数えた後、レムルスは石の剣を流れるような動作で腰に収め、振り返り、一礼をした。
「おはようございます。レムルスさん。お茶でもいかがですか」
レムルスに声をかけた女は、茶色の教衣に身を包んだ聖職者であった。
村の離れで一人教会を仕切る女は、やや視線を下に向けながら、姿勢良く茶を飲んでいた。
「シスター殿、いつも場所をお借りして、かたじけない」
レムルスは用意された茶を一口すすり、改めて礼を述べた。
「レムルスさんのおかげで、死者がこの辺りに迷い込む事も、随分と減りました」
「いえ」
レムルスは否定したが、教会の周辺は松明の配置が満足に整備されていない。
彼が来るまで、彼女は随分と夜を越えるために苦労をしていた。
「村の生活には慣れましたか」
「おかげ様で、十分な暮らしをしております」
「では、ささやかではございますが、こちらをその足しにしてくださいませ」
聖職者は布の包みを、レムルスに差し出した。
中には、村の通貨となるエメラルドの欠片が、数個入っていた。
「受け取れません」
「私からではありません。ツルさんからです」
「ツル殿から」
「はい。ツルさんは、鉄採掘の功労者であるレムルスさんに、満足な御礼ができていない事を、常に悔やんでおられます」
「とんでもない事です。ツル殿より村に住む許可を頂いただけではなく、家を数件頂戴いたしました」
ツルは、夫の遺体を持ち帰ってくれたレムルスに、それ以上の謝礼をしたかったが、貧しい人々を決して見捨てない村長の台所事情は、相当に苦しかった。
「育ち盛りの女の子を三人も養っていらっしゃるのです。ツルさんのお気持ちを、どうぞ受け取って頂けますよう」
「かたじけない」
レムルスは、エメラルドが入った布を丁重に受け取った。
価値としては、五人の食事三日分程度の重さであったが、決して粗末に扱えるものではなかった。
「とはいえ、子供たちは皆しっかりとしております。何より、一人は私の師でもありますゆえ」
「あら、詳しくお話をお聞きしたいですが、そろそろ朝ごはんのお時間でしょう」
「はい。また別の機会に」
レムルスは茶を飲み干し、席を立った。
「レムルス、おかえりぃ。ご飯だよぉ」
既に朝食の準備を整えたペロが、家の前でレムルスの帰りを待っていた。
その身体には、泥も塗られておらず、着ているのは葉ではなく麻布の服であった。
「ありがとう、ペロ」
ペロを伴い、レムルスが生活する家の、向かって左隣に入る。
そこは、ペロとウズマキとムムにあてがわれた家だった。
「おはよう、旦那」
右隣りに住むヘチマは、既に食卓の席へとついていた。
「今日も朝から精が出るねぇ」
若いシスターの事を見知っているヘチマの声は、やや下世話であった。
「まったくだ。毎朝他の女の所に足を運ばれる、私の身にもなってほしい」
不満を隠そうともせず、麻布の服を来たウズマキが、大きなため息を吐いた。
「ウズマキ、我慢じゃ。もうしばらく、大人になるまではな」
「ヘチマ殿が教えてくれたように、大人の男には、大人の女が必要なのは分かる。だが、私はいつまで待てば、マスターに大人として扱ってもらえるのだろうか」
「そりゃ、まァ、胸がシスターほど、膨らんだ頃じゃねぇのかい」
「なッ、ななッ、あんなカボチャのような胸になるまで、待たねばならないのかッ」
ウズマキは、服の首元を前に引っ張り、自分の胸を直視し、絶望した。
「ウズマキ、ヘチマ殿、私とシスターは、二人が思っているような事など、何もない。ただ場所を借りているだけだ」
レムルスは、淡々と二人を窘めた。
「だったら、私も連れていってくれればいいのに」
「大人数で騒いでも良い場所ではないのだ。それに、子供は十分に睡眠をとらなければならない」
同行できない理由より、子供扱いされた事に、ウズマキは口を尖らせた。
「うぅー、うるさいなぁ」
ようやく起きてきたムムが、ボサボサの長い髪をそのままに、ブカブカの服を来て、食卓に座った。
「ペロ、ごはん」
「はーい。今日はお野菜と、芋のスープだよぉ」
「えー、卵か肉は無いの」
「ペロ、私も肉がほしい」
ウズマキとムムが、同時に主張した。
「ごめんねぇ。肉は夜の分しかないの」
「マスター、今日は二人で狩りに出かけないか」
「ウズマキ、言ったろう。狩りは狩りを職としている者に任せる。我々は、我々の成すべき事をして、肉や野菜を贖わねばならないのだ」
「難しい。村の生活は、外の生活より、随分と難しいのだな」
「これも修行の内と思え」
レムルスにそう言い切られると、何も反論できないウズマキであった。
その隙にムムは、レムルスの野菜とスープを半分、自分の器に移していた。
「いつもごめんねぇ、レムルス。少しだけなら、おかわりあるからね」
「私は大丈夫だ。おかわりの分はウズマキとペロ、二人で分けなさい」
「修行の内、修行の内」
囁くようなムムの呟きに、真剣に頷くレムルスがおかしくて、ペロはつい噴き出してしまった。