01-02 黒い仮面の男

キィキィ、ガァガァ。
少女にとって、昼間は耳さわりだった鳥の鳴き声であったが、今はそれほどでもなかった。
最後の記憶は、目標の一割も距離を進めないまま、死者に足を捕まれ、勢いよく転倒した所まで。
頭を打って意識を失ったのだろうか。しかし痛みはぼんやりとしており、それ故、自分は死者の側へ来たのだと、思った。
全身がだるい。瞼を開くのもおっくうだ。このまま眠り続けたい。
弱気に支配されそうになると、少女は反射的に目を開いた。

「ウアア!?」
叫んだ少女の目前に、黒い顔の怪物がいた。
違う、人間だ。黒い板の面を被った男。
長身にしては、若い狼を思わせるように身体の線は細く、引き締まっている。
それでも腕と足は、少女の三回りも太かった。
「ゥゥゥゥゥゥ……」
少女は背を地面に横たえたまま、顔のみを起こし、唸り声で威嚇をした。
目前の男が略奪者であろうが無かろうが、外で出会う男は、みな同じだ。
仮面の男は、少女から鋭い視線を受けている自らの首筋に、手をあてた。
男のそれが、間が抜けたほどゆったりとした仕草だったので、少女はさらに苛立った。
そんな少女の様子を見て、男は、もう片方の手を、一枚身に着けた腰草の後ろに伸ばした。
武器を取り出すのだろうか。図体がでかいだけの臆病者め。
全身に、痛みと疲労が蘇り、身動き一つ困難な状況だと理解しながらも、少女はさらに威嚇の声を高める。
だが、男は腰草の後ろに手を入れたまま、しばらく微動だにしなかった。
やがて男は振り返り、少女を残したまま、その場を去った。
一人森の木陰に残された少女であったが、男が過ぎ去った後も、うなり声を収めようとしなかった。
その間、自分の全身に施された薬草と、傍らに置かれたスイートベリーの小山にも、気が付かなかった。

甘い、という少女の感覚が、全て上書きされるような衝撃だった。
少女は、傍らに置かれたスイートベリーを一粒、空腹のあまり、即座に手を出し、噛み砕き、胃へと流し込んでいた。
残りの果実を、口の中いっぱいに頬張りたい欲求を必死に抑える。
それは、生と死がかかった旅路の中で、最も忍耐力を必要とした。
もう一粒だけを、長い時間をかけて、ゆっくりと味わい、咀嚼し、じわりじわり、口内で溶かしていく。
口に甘い幸福を残したまま、残りのスイートベリーは全て、手持ちの背嚢に詰めた。
自分の帰りを待つ仲間であるペロの驚く姿を想像すると、少女の頬は思わず緩んだ。
どういうわけか、生きている。その時初めて、少女は全身に張られている薬草に気がついた。
少女は考えた。なぜ自分は夜を越えられたのか、積まれたスイートベリーと薬草は、誰が施したものなのか。
黒い仮面が頭に浮かんだ。自分はあの男に救われたのであろうか。
ならば、なぜ男は、それを告げずに去ったのか。
外の人間から一方的な善意など受けたことの無い少女であったから、男が当然要求するべき見返りか、あるいは、罠の存在を疑った。
ただ、当面の問題が大きすぎたせいで、少女はそれに関して考えることを止めた。
少女は、冬を越せるだけの食料を確保して、少女を待つ仲間がいる拠点まで、戻らねばならない。
急がねばならなかった。
仲間のペロが待つ拠点の周囲に、彼女が自生できるだけの食料はもう残っておらず、彼女のために残した僅かな食料も、既に尽き初めている頃だった。