04-02 師弟

火を起こす事は、簡単では無かった。
レムルスは最低限度の事を教えてくれたが、どれだけ早く棒を動かしても、どれだけ力を込めても、煙が出ない。
だが、3つの夜を数える間、ひたすら棒を擦り続けていると、ついに煙が上がった。
ウズマキは、必死になって煙を大きくしようと手を動かしたが、煙はすぐに消えてしまった。
棒には、ウズマキの手豆が潰れた血が、こびりついていた。
不安そうなペロに、ウズマキは言った。
「ペロ! 見たか!!!」
煙が消えても、落胆の色を全く見せず、むしろ目標に近づいた事を喜ぶウズマキに、ペロは感嘆した。
そこからは早かった。
両手の力だけではなく、上半身と下半身のバランスを意識しながら、背中の筋肉も意識して手を動かす。
その日が暮れるまでに、ウズマキは一人で火を起こせるようになった。
するとまた、どこで採ったのか、レムルスが山羊を一頭仕留めて、帰って来た。
驚愕し、怯えるウズマキとペロを尻目に、拠点の入り口でレムルスは、手際よく山羊を解体した。
レムルスの一挙一動を見逃さぬよう、ウズマキは集中した。
ペロは火を絶やさぬよう、薪や枝を、慎重に足していた。
山羊の解体がひと段落すると、レムルスは山羊の肉を火にくべた。
「あッ………」
その香りは、少女たちの空腹を激しく加速させた。
ウズマキが起こした火で、レムルスが焼いた肉を、まずペロが口に入れた。
ウズマキは単純に、初めて食べる獣の肉が怖かったのだ。
「ふぎゅ!」
ペロの口から、ウズマキが聞いたことも無いような声が漏れた。
2人の少女はそれから、夢中になって焼かれた羊肉にむさぼりついた。

その翌朝も、やはりレムルスは立っていた。
手には、ペロの身長ほどもある長い棒を握っていた。
ウズマキは、もはや、どこから採って来たのか問う意味も無いと思った。
先端は尖っていたが、火を起こすための短く細い棒と違ったのは、明らかに命を絶つ事を目的とした鋭さと太さだった。
ウズマキは、その長い棒を無言で受け取った。
「仕留める時と、仕留めた後」
二言、レムルスは呟いた。
この頃には、レムルスは身振り手振りを交えなくても、ほとんどの会話ができるようになっていた。
口数は本当に少ない。ペロはそれが少し不満そうだった。
「仕留める時と、仕留めた後」
口数の少ない男が、二度繰り返した言葉に、ウズマキはゆっくりと頷いた。
獣を仕留めるためには、その二つが、重要なのだと、理解した。

まず、ウズマキは、山羊を見つけられなかった。
この辺りで見かける事自体が極稀で、しかも、そういった山羊は、堂々と自らの縄張りを越えてくる狂暴な成体だった。
狩りに、必要以上の危険を犯す必要はない。
そんな山羊をもし見つけても、隠れるか逃げるかして、やり過ごせば良いのだ。
なぜかは分からないが、そのような合理的な考えを、ウズマキはレムルスとの訓練で、身に着けていた。
行軍訓練や火を起こす事に、何か手がかりがあったのかもしれない。
もしくは、「生きるために」を考える時間が多かったからかもしれない。
山羊の狩りは、レムルスは付いて来ず、一人だった。
ウズマキは、岩山を駆けまわり、手ごろな山羊の縄張りを探す。
しかし、夜には拠点に戻らねばならないから、そう遠くまではいけなかった。
それでも、自分で驚くほどウズマキの世界は広がっていた。
一日に移動できる距離が、以前の三倍以上になっていると感じた。
それでも、レムルスが居ない不安からか、足元に迷いが生じ、何度も崖から落ちかけていた。
その都度、ウズマキは自分を戒めた。
一日目。
山羊の縄張りを見つける事はできなかった。
その日の夕食は、ペロが作った肉と芋が入ったスープだった。
身体に浸み込む旨さで、力が沸いてきた。
二日目。
山羊の痕跡に、いくつかあたりをつけることができた。
夕食は肉の腸詰だった。
歯ごたえが面白く、何より旨すぎた。
五日目。
ウズマキは、山羊の縄張りを完全にとらえた。
夕食は肉のハーブ焼きだった。
ウズマキは、死ぬ前に食べたいのは、これだと思った。
翌朝も、レムルスは立っていなかった。
そもそもこの五日間、姿も見ていない。
「今日、勝負する」
ウズマキの決意が実るよう、ペロは祈りながら、新しい泥を塗ってくれた。

(…………本当に、よく生きていられたものだ)
ムムからもらった耳飾りを撫でながら、ウズマキは回顧を終えた。
絶命した山羊に、祈りを捧げようと思った。
ビュン。
ウズマキは、瞬時に頭を大きく下げた。
祈るためではなく、上を通り過ぎていった何かを避けるためだった。
少女は、振り返らずに、懐かしい匂いのする空間へ、長槍の逆側を突き出した。
受けもせず、避けもせず、黒い仮面の男は、槍の先端が、顔に触れるか否やの距離に、立っていた。
「大物だな。ウズマキ」
「マスター!!」
二人は、師弟関係となっていた。