「マスター、行ってくる。ムムとペロを頼む」
「ワシもそろそろ出ようかの」
「ウズマキ、ヘチマさん。はい、お弁当」
「ペロちゃん、いつもありがとさん」
ヘチマは、小さな包みを受け取り、ペロに笑いかけた。
好々爺が孫に向けるような、含みの無い笑顔。
ヘチマの長い人生において、ペロたちと出会うまでは他に見せた事のない表情だった。
ペロの性格が素直だからか。
あるいは、村人らから求められるがままに、樫の木を見立てている今の日々がヘチマにそうさせているのか。
それは、ヘチマ自身にも、分からなかった。
「すまんね。ワシは旦那を手伝いたいのじゃが」
レムルスは、僅かに口元を綻ばせながら、首を振った。
「ウズマキ、今日のお弁当、干し肉を入れたからねぇ」
ペロはウズマキの耳元に顔を近づけ、小声で言った。
「ペロッ……!」
真に迫った声と表情で、ウズマキはペロを引き寄せるようにして、抱きしめた。
ウズマキとヘチマが出かけた後。
ペロがムムの髪をといている間に、レムルスは5人分の食器を片付けた。
「レムルス、ペロのお仕事なのに、いつも手伝ってくれてありがとう」
レムルスは小さく首を振った。
毎日聞いても、決してぞんざいになる事が無いペロの「ありがとう」は、レムルスに尊敬の念を抱かせていた。
「ペロ、師匠の身支度が終わったら、こちらに来なさい。渡したいものがある」
「えぇ、私に?」
「贈り物だったら、私も欲しい」
「レムルスは誰か一人を特別扱いしないよぉ」
「じゃあ、贈り物じゃないね。なんだろう」
「なんだろうねぇ。楽しみだねぇ」
「いいものだったら、半分ちょうだい」
「うん。いいよぉ」
ペロと師の会話を聞きながら、食卓の机を綺麗に拭き、レムルスは椅子に腰かけた。
少し間を置いて、ペロがレムルスの前の席に座った。
当然のように、ムムがレムルスの隣に座った。
「今日の朝。シスターを通じてツル殿から、鉄採掘の謝礼を受け取った。ペロに管理を任せたい」
「うわッ。いいものだ」
ムムが口を三角にして、机の上に置かれた布の中身を見て驚いた。
「えッ、えッ、ええ? エメラルドをこんなに、なぜペロが? みんなで分けるとかじゃなくて?」
ペロが率直な疑問をレムルスにぶつけた。
「家庭でも、戦場でも、食費の管理は、最も信頼できる人間に任せたい」
「うぅ……ペロにできるかなぁ。でも、レムルスがそう言うのなら、やってみるねぇ」
満面の笑顔で、ペロはエメラルドが入った包みを受け取った。
ペロはレムルスの期待に応えたかったし、何より、皆のために日々の食事を工夫できる選択肢が増えた事が、嬉しかった。
「二十日市が来るまで苦労をかけるが、よろしく頼む」
淡々としているが、レムルスの真面目な願いに、ムムは冗談でも「半分ちょうだい」とは言わなかった。
二十日市とは、文字通り二十日に一度開かれる村の市場だった。
ツルの村では、物品を日々取引しても良い店を開くためには、二十日市で出品をし、村人らより一定数以上の許可札を集める必要があった。
ツル自身は、革職人自体が村で不足していたし、鉄採掘の功労者を特別扱いしたかったが、レムルスは固辞した。
法や文化の習慣は、守るべきものであった。
また、村に五人を認めてもらうためには、良い機会であるとも思っていた。
「……と、私は考えているのですが、師匠はいかがでしょう」
「千人分の革靴を作るのかぁ」
「いえ、店を開くのに必要な札は二十枚となります。取引後、買った者が満足をする出来だと認められれば、札を受けとれる事になっておりますので、師匠の腕であれば四十も作ればよろしいかと」
「材料はどうするの?」
「既に居た村の革職人は皆、鉄装備の制作に回ったそうです。現在、村に革の材料は十分に余っているらしく、今日までに作った草靴を担保の一部として、前借の形で話を進めています」
「レムルスは、草靴屋の方がよかったんじゃない? 皮靴作れないし」
「師匠に皮靴を作って頂いている間、私は草靴を編み続けます。いつか私が、師匠が納得して頂けるような草靴を編めた時には、皮靴の作り方を教えて頂けないかと」
「ふむ」
もっともらしく、考えこむような素振りを見せた後、ムムは口だけで微笑んだ。
「今日は口数が多いね、レムルス」
「はッ。面目ございません」
「ううん。それだけやりたい事なんだって、分かったの。だからいいよ。やろう」
「ありがとうございます」
「レムルス」
やや、間を置いて、ムムは囁くように呟いた。
「居なくならないでね」
ムムの切なる願いであった。
「あ、師匠。申し訳ございません。もちろんすぐというわけではございませんが、折を見て古巣の薔薇へ一度戻るつもりです」
「へ?」
「鳥を飛ばすという手段もございますが、一味を抜ける以上、直接足を運び、話をする必要がありますゆえ」
「………………」
直後、ムムは家出をした。
少女を探すために、レムルスは、戦闘訓練に従事していたウズマキとハッシュらの力を借りてしまう事となってしまった。