03-03 腰ミノの中に

食事の間、レムルスは、ウズマキとペロの生活について、話を聞いた。
これまで、ウズマキとペロの主食は、岩穴の隙間に生息する芋であったこと。
芋は干して保存食にするのだが、その干し加減は、ペロが名人級であること。
だが、この辺りの芋は全て採り尽くしてしまったということ。
ほとんどが芋の話に終始したのだが、2人がどう生き延びてきたのかを知るために、レムルスにとっては重要な情報だった。
ペロはしきりに、チラチラとウズマキを見ながら、レムルスとのこと、そして、これからのことについて話をしたかったようだ。
「その話は後にしよう」
だが、その都度、ウズマキが話を遮っていた。
レムルスは、今が、師の命を果たす時ではないかと、自問した。
しかし、互いの無事を喜び合う少女たちの様を目にする都度、その決意は揺らいだ。
師の命を果たす事は、レムルスにとって、時が経つごとに、より重い覚悟が必要となっていた。
今言わねば。
今言えなければ。
後回しにすればするほど、少女たちには情が移り、相反して、自分の業は積み重なっていくのであろう。
しかし、もし、仮に、師の命を果たさぬ道を、選ぶとすれば。
今では、その選択肢が、レムルスの頭に過ぎり始めている。
それは、レムルス自身にとって、想像の尽きぬ破滅への道であった。

「レムルス?」
ペロがレムルスの顔を覗き込んだ。心配そうな少女の顔であった。
蜘蛛の毒で意識が朦朧としている時、レムルスはこの少女に介抱をされた。
水路を抜けてきたのであろう、ずぶ濡れの少女は痩せこけた身体で、万全では無いであろう体調で、迷いなくレムルスの傷口を確かめた。
薬草を塗り、貼り付け、煎じた粉を飲ませる。
それは、レムルスをして、感心に値する手際であった。
さらにレムルス、滑らかな泥を用い、傷口の周りに何かの文様を描かれた。
これだけは、まじないの類だと思われる。
レムルスの身体には、だるさが残っているものの、ほぼ快方に向かっていた。
つまり、自身はこの少女に、命を救われた事になる。
情が移るも何も、まず、その恩義をレムルスは、返さねばならなかった。

「ペロ、レムルスは、男の決断をするために悩んでいるのだ。そっとしておいてやれ」
核心であった。
ウズマキの言葉に、一瞬平静を保てないほど、レムルスは驚いた。
レムルスの背筋は凍解するまでに、相当な時間を必要とした。
「ふふッ……。もう少し待てば、嫌でも決断することとなるぞ」
不敵に笑むウズマキは、どこまで、自分の考えを見抜いているのだろうか。
レムルスは、少女とのこれまでを思い返した。
ウズマキは、誇り高い人であった。
必要以上に人を頼らず、いや、明らかに必要な時でも人を頼れず、己の力で問題を解決しようとする。
貸しよりも、借りの方を忘れない、この世界では稀有な少女だった。
そして何より、ウズマキは、不屈の人だと、レムルスは思い知らされていた。
蜘蛛の毒を負った際、岩穴の中でウズマキに夜通し声をかけられ、翌朝から肩を借り、ここまでたどり着いた。
意識は朦朧としていたが、厳しい行程の中、自分の身体半分ほどしかない少女に、幾度となく救われた。
ウズマキが歯を食いしばり、汗や血反吐、涎らを垂れ流し、身体を支え続けてくれたその声、その一足を、忘れる事はできない。
森で出会った頃から、そんなウズマキの姿を見て、何度励まされたことか。
貸し借りで言うなら、自分の方がよほど恩義を受けている。
師の命を果たす事は、避けられぬ義務と現実であったが、ウズマキとペロに借りを返したいと思うのは、強い希望となっていた。
「なぁ、ペロ、レムルスに残った芋を出してやれないか」
「うん。もう全部出しちゃおうか」
「そ、それはそれで構わないのだが……お前という奴は、計画性があるのか無いのか、本当に分からんな」
「思い切りがいいだけだよぅ。ね、レムルス」
居心地の良い空気だった。
レムルスは、腰ミノに秘した師の命に逆らえきれぬまま、再び、答えの出せない自問自答に、沈もうとしていた。

03-04 ウズマキの決意

ペロが芋を食卓に並べたが、レムルスは最初の一切れを口にしたまま、ずっと顔を伏せていた。
ウズマキは、出会ってから何度か、その様を見た事があったが、今のレムルスは、さらに深く何かを考えこんでいるようであった。
ウズマキは、今が、その時だと思った。
「ペロ、聞け」
「え、何? レムルスには内緒の話?」
「私は今から、レムルスと、これからの話をするための、準備をする」
真剣なウズマキの視線を受け、ぺロは真剣な顔を作って頷き返す。
「う、うんっ。分かった。え? 準備?」
すぐには言葉の後半を、ペロは理解できなかった。
「身なりを整えたい。今から水で身体を清める。新しい泥と葉が必要だ。今あるだけでいい。できるか?」
「あ……うん!! 大丈夫だよ。それくらいの泥と葉は、残ってるッ」
完全にウズマキの意図を理解したペロは、はりきった。
ウズマキは満足そうにうなずき、レムルスへと話しかけた。
「レムルス。私たちは少し席を外す。水路の奥だ。後でお前を招待するが、その前に……けじめをつけておきたい」
レムルスはまだ思案にふけったままのようで、ぼんやりと頷いた。
「……ウズマキッ。私、頑張るねッ」
ムムを失った悲しみが癒える事は無いとしても。
ペロは、家族が増える期待に、胸が熱くなっていた。
ペロとウズマキは、頷き合い、水路へと潜っていった。

レムルスは、少女たちが飛び込んでいった水路の入り口を、見つめていた。
確かに、この狭い水路がある程度奥まで続いており、さらに出口を塞げる工夫があれば、侵入を容易に許さないであろう。
少人数が潜むには、もってこいの場所であった。
ウズマキが「必ず驚く」と言っていたのも、頷けた。
ザパッ。
レムルスは驚いた。
戻って来たウズマキは、一糸ならぬ、一葉まとわぬ姿であったからだ。
「あぁ、すまんレムルス。仕上げをするから、あちらを向いていてくれないか」
平然としたウズマキからそう言われるより前に、レムルスは入り口側へと視線を移していた。
ウズマキに続き、ペロが戻って来た水音が聞こえる。
2人の少女が何やら作業をしている音だけが、岩穴内に響いていた。
今日に至るまで、様々な文化を持つ人々と接してきたレムルスであった。
そのレムルスが、なるべく目立たず、事を荒立てず、他の文化に溶け込む際に、己に課していたのは
「理解できないことは、理解できないままで良い」という事であった。
少女たちには少女たちのルールがある。
それで良い。
自分はいつまでも、この場所に居られるわけではないのだから。

「レムルス、準備ができた。こちらを向いてくれないか」
ウズマキの呼びかけに、レムルスはやや恐る恐ると、半身だけ振り向いた。
そこには、新しい泥で、全身に文様を塗りなおしたウズマキが、堂々と立っていた。
髪も綺麗にとかし、身に着けていた葉も新しくなっている。
瑞々しい生命の美しさを、レムルスは感じた。
「ウズマキは、レムルスに礼を述べる」
ウズマキは両手の指を胸の前で組み、深くレムルスに頭を下げた。
「暗い森の夜を越えられたのも、食料を確保できたのも、その食料をここまで運んで来れたのも、全て貴様のおかげだ」
レムルスもそれに倣い、頭だけを深く下げた。
「すごいねぇ、レムルス。ウズマキが誰かにお礼を言ったの、久しぶりに聞いたよぉ。レムルスはほんとにすごいんだねぇ」
茶化すな、という視線をウズマキから受け、ペロは首をすくめた。
「そして、お前には詫びねばならない。レムルス、私には、仲間のムムを略奪者どもから奪い返すという使命がある……」
しばらくの間を置いた後。
やがてウズマキの頬は赤く染まっていき、ついに少女は言葉を繋げた。
「その使命を果たすまで、貴様の妻にはなれないのだ」
「………………」
場を沈黙が支配した。
ウズマキ自身は、自分が言った言葉の余韻に、やや浸っているようであった。
(…………ツマ?)
彼女らの言葉を半分以上理解できているレムルスであったが、ツマという言葉が何を指すのか、理解できなかった。
ただ、この場においては、理解できないまま頷いてはならない、荘厳さすら感じていた。
救いを求めるように、レムルスはペロへ「ツマ?」と疑問を投げかけてみた。
ペロはギョッとした表情をし、ウズマキの方を見た。
にやけた顔を表に出さないよう苦労し、ウズマキは、レムルスに身振り手振りを交え、仕方なさそうに説明をした。
「ツマというのはだな、レムルス、ツガイと言えば良いのか、フウフと言えば良いのか。まぁ、そのつまり、お前がなぜ私を助けたのか、その理由だ」
後半はもじもじとしながら、ついに、ウズマキは言いきった。
「お前は、私が欲しいのだろう?」
レムルスが、ツマが妻を指しているとようやく理解した時、仮面ごと青ざめるような狼狽えを見せた。
その時初めて、ウズマキは、おかしいと思った。
「え? も、もしかして、違った?」
ウズマキは、当然レムルスに否定されると思っていた言葉だったが、レムルスは、コクコクと頷いた。何度も、何度も。
「……………………」
ただでさえ、紅潮していたウズマキの顔であったが、顔どころか、耳までリンゴのように赤く染まっていった。
ザパッッ。
勢いよく、ウズマキは水路に飛び込んでいった。
ペロは憤慨して、レムルスを問い詰めた。
「どういうことなの! レムルス!!」

04-01 秋の回顧

季節は秋。
険しい崖の上に、山羊がいた。
立派な成体の山羊は、他の生き物が足も置けないような崖の悪路を、軽々と移動する。
だが、警戒は怠らない。
自分以外の生き物が居ないか、頻繁に鼻を上げ、確認をしていた。
小さな生き物であれば、容易く踏み殺せるような立派な蹄で土を搔き分け、岩山に生えた貴重な草を食む。
昼間、この縄張りで、山羊には天敵が居なかった。
「ピギィ!!」
山羊の断末魔。
厚い毛皮を長槍が突き破り、その心臓を的確に貫通していた。
山羊が通った後を身軽に駆け抜け、一人の少女が山羊の前まで、慎重に近づいた。
少女の名は、ウズマキといった。
両の手足は夏の頃と比べ、よりしなやかに、より精悍に、引き締まっていた。
ウズマキは、山羊同様、目で、耳で、肌と鼻で、周囲への警戒を怠らぬまま、山羊の絶命を確かめた。
「…………ふぅ」
ウズマキは、達成感よりもはるかに大きい安堵感で、微かに震えながら、ため息を吐いた。
ようやく一人で、獣を仕留める事に成功したのだった。
髪は腰辺りまで伸びていたが、今日に至るまでの日々は、一日があっという間に過ぎていった。
(よく、生きていられたものだ)
ムムに作ってもらった耳飾りを撫でる。
自嘲ではなく、心底、自分へ向けた褒め言葉であった。
それほど、ウズマキの今日に至るまでの日々は過酷であった。

夏の記憶。
朝、拠点の外に出ると、既にレムルスが立っている。
何の説明も無く、レムルスが駆け、それにウズマキが付いていく。初日からそうであった。
走り、崖を駆け下り、岩肌を登る。
それも、普段ウズマキが通ろうとも思わぬような険しい道ばかりであった。
ウズマキにとって、常に決死の覚悟を必要とした、行軍訓練だった。
汗まみれ、傷だらけで拠点に戻ると、食事の準備をしているペロを無視して、奥の寝床まで必死に辿り着き、眠る。
朝目が覚め、ペロが作ってくれた食事を口に放り込み外に出ると、やはり、レムルスが立っている。
レムルスが駆ける。
それをウズマキが追いかける。
その繰り返しを、20と少し夜を数え、夕食をとる余裕ができ始めた頃だった。
朝、やはりレムルスが立っていたが、どこで採ったのか、小さな木の板と短い棒を用意していた。
ウズマキは武器だと思った。
ようやく戦いの訓練が始まると、ウズマキは勇んだが、それはすぐに落胆へと変わった。
レムルスは棒の先端を、木の板にこすりつけ始めた。
ウズマキは、レムルスが何をしているのか、全く理解ができなかった。
やがて木の板から、白い雲のようなものが生まれた。
レムルスは即座に、白い雲が出ている元を木くずで覆い、息を吹き込んだ。
すると、レムルスの手から赤い花が咲いた。
それをレムルスは、「ヒ」と呼んだ。
触ろうと恐る恐る手を近づけただけで、その温かさが、熱さが、感じられた。
「ヒ」は、ウズマキにとって驚きの現象であったが、ペロはさらに大きな衝撃と、閃きを受けていたようだった。
しかしレムルスはすぐに足で「ヒ」を踏み消してしまった。
レムルスは、棒と板をウズマキに渡した。
その日から、ウズマキは「ヒ」を起こすために、一人格闘をすることとなった。

04-02 師弟

火を起こす事は、簡単では無かった。
レムルスは最低限度の事を教えてくれたが、どれだけ早く棒を動かしても、どれだけ力を込めても、煙が出ない。
だが、3つの夜を数える間、ひたすら棒を擦り続けていると、ついに煙が上がった。
ウズマキは、必死になって煙を大きくしようと手を動かしたが、煙はすぐに消えてしまった。
棒には、ウズマキの手豆が潰れた血が、こびりついていた。
不安そうなペロに、ウズマキは言った。
「ペロ! 見たか!!!」
煙が消えても、落胆の色を全く見せず、むしろ目標に近づいた事を喜ぶウズマキに、ペロは感嘆した。
そこからは早かった。
両手の力だけではなく、上半身と下半身のバランスを意識しながら、背中の筋肉も意識して手を動かす。
その日が暮れるまでに、ウズマキは一人で火を起こせるようになった。
するとまた、どこで採ったのか、レムルスが山羊を一頭仕留めて、帰って来た。
驚愕し、怯えるウズマキとペロを尻目に、拠点の入り口でレムルスは、手際よく山羊を解体した。
レムルスの一挙一動を見逃さぬよう、ウズマキは集中した。
ペロは火を絶やさぬよう、薪や枝を、慎重に足していた。
山羊の解体がひと段落すると、レムルスは山羊の肉を火にくべた。
「あッ………」
その香りは、少女たちの空腹を激しく加速させた。
ウズマキが起こした火で、レムルスが焼いた肉を、まずペロが口に入れた。
ウズマキは単純に、初めて食べる獣の肉が怖かったのだ。
「ふぎゅ!」
ペロの口から、ウズマキが聞いたことも無いような声が漏れた。
2人の少女はそれから、夢中になって焼かれた羊肉にむさぼりついた。

その翌朝も、やはりレムルスは立っていた。
手には、ペロの身長ほどもある長い棒を握っていた。
ウズマキは、もはや、どこから採って来たのか問う意味も無いと思った。
先端は尖っていたが、火を起こすための短く細い棒と違ったのは、明らかに命を絶つ事を目的とした鋭さと太さだった。
ウズマキは、その長い棒を無言で受け取った。
「仕留める時と、仕留めた後」
二言、レムルスは呟いた。
この頃には、レムルスは身振り手振りを交えなくても、ほとんどの会話ができるようになっていた。
口数は本当に少ない。ペロはそれが少し不満そうだった。
「仕留める時と、仕留めた後」
口数の少ない男が、二度繰り返した言葉に、ウズマキはゆっくりと頷いた。
獣を仕留めるためには、その二つが、重要なのだと、理解した。

まず、ウズマキは、山羊を見つけられなかった。
この辺りで見かける事自体が極稀で、しかも、そういった山羊は、堂々と自らの縄張りを越えてくる狂暴な成体だった。
狩りに、必要以上の危険を犯す必要はない。
そんな山羊をもし見つけても、隠れるか逃げるかして、やり過ごせば良いのだ。
なぜかは分からないが、そのような合理的な考えを、ウズマキはレムルスとの訓練で、身に着けていた。
行軍訓練や火を起こす事に、何か手がかりがあったのかもしれない。
もしくは、「生きるために」を考える時間が多かったからかもしれない。
山羊の狩りは、レムルスは付いて来ず、一人だった。
ウズマキは、岩山を駆けまわり、手ごろな山羊の縄張りを探す。
しかし、夜には拠点に戻らねばならないから、そう遠くまではいけなかった。
それでも、自分で驚くほどウズマキの世界は広がっていた。
一日に移動できる距離が、以前の三倍以上になっていると感じた。
それでも、レムルスが居ない不安からか、足元に迷いが生じ、何度も崖から落ちかけていた。
その都度、ウズマキは自分を戒めた。
一日目。
山羊の縄張りを見つける事はできなかった。
その日の夕食は、ペロが作った肉と芋が入ったスープだった。
身体に浸み込む旨さで、力が沸いてきた。
二日目。
山羊の痕跡に、いくつかあたりをつけることができた。
夕食は肉の腸詰だった。
歯ごたえが面白く、何より旨すぎた。
五日目。
ウズマキは、山羊の縄張りを完全にとらえた。
夕食は肉のハーブ焼きだった。
ウズマキは、死ぬ前に食べたいのは、これだと思った。
翌朝も、レムルスは立っていなかった。
そもそもこの五日間、姿も見ていない。
「今日、勝負する」
ウズマキの決意が実るよう、ペロは祈りながら、新しい泥を塗ってくれた。

(…………本当に、よく生きていられたものだ)
ムムからもらった耳飾りを撫でながら、ウズマキは回顧を終えた。
絶命した山羊に、祈りを捧げようと思った。
ビュン。
ウズマキは、瞬時に頭を大きく下げた。
祈るためではなく、上を通り過ぎていった何かを避けるためだった。
少女は、振り返らずに、懐かしい匂いのする空間へ、長槍の逆側を突き出した。
受けもせず、避けもせず、黒い仮面の男は、槍の先端が、顔に触れるか否やの距離に、立っていた。
「大物だな。ウズマキ」
「マスター!!」
二人は、師弟関係となっていた。

04-03 狩りの成果

拠点の入り口で、ペロが二人を出迎えた。
「わぁー。おっきぃねぇ。おいしそうだねぇ」
ことさら大げさに、ペロはウズマキの成果を喜んだ。
それでもウズマキは、悪い気がしなかった。
一緒に居るレムルスを見て、ペロは一言「ぷん」とだけ言い、顔を膨らませて、視線をそらした。
「マスター。何も言わず、5日間も姿を見せなかったのだ。ペロは怒っている」
夜を一つ越えることを、一日と呼ぶ。
ウズマキはレムルスから教えられていた。
「すまない」
本当にすまなそうに、レムルスは謝った。
「でも大丈夫だ。ペロの怒りは、すぐ収まる」
「……もう。そんなにペロは、簡単じゃないんだからねぇ。ウズマキ、疲れている所にごめんなさいだけど、火をつけてくれる?」
「お安い御用だ。それと、今日の夕食だが……」
「香草焼きにするねぇー」
「あぁ。昨日のそれを、マスターにも食べさせてやりたい」
「あーい。頑張って作るから、レムルスもたくさん食べてね!」

「さぁ、召し上がれぇ~」
ウズマキは、昨日とは肉の厚みが大きく違うことに気づいた。
まだペロは、レムルスに怒っているのだろうか。
「ペロ。悪い。マスターにはもう少し大きな肉を、切り分けてくれないか」
「ウズマキ、大丈夫だよ。味は昨日と同じか、それよりもおいしいから」
昨日よりもはるかに薄く切られた肉が、焼かれて並んでいる。
小さな石の器には、やや濁った液体が注がれていた。
「そのお汁に、お肉をちょんちょん、って付けて、食べてみてね」
「お汁にちょんちょん、か。分かった」
食欲をそそる、良い香りのする水であった。
迷いなく。ペロは薄い肉を手で掴み、液体につけ、口に放り込む。
「はぎゅ!!」
衝撃の味だった。
以前、ペロが出したような変な声も出てしまった。
肉自体も絶妙な火加減で焼けているが、この液体ががすごい、とウズマキは思った。
「は、ハーブを水に混ぜたのか? いや、この甘さは、それだけじゃない。りんごだ!」
「薄く切った方が、たくさんお汁を絡められるでしょ?」
「あぁ……んぐんぐ、そうだな、んぐんぐ……」
夢中でウズマキは肉を汁につけ、口に運ぶ動作を繰り返した。
「はい。レムルスも食べてみて」
レムルスは、頷き、肉を食べた。
その肉は、ウズマキが一人の力で採り、ウズマキが起こした火で、ペロが工夫をし、焼かれた肉だった。
一口、口へと運ぶ。
ふと、レムルスの頬が緩んだ。
「あ~。やったぁ。レムルスが笑ったぁ!」
「あぁ、うん。んぐんぐ、それほどに、この肉はうまいのだ……ペロ、おかわり」

火は不思議だ。
触れると熱い。痛みの塊りだ。
しかし、ゆらゆらと動いている赤い火花を眺めていると、心が安らぐ。
食事を終え、もはや慣れた手つきで薪をくべながら、ウズマキは対面の火花とレムルスを眺めて、ぼんやりとしていた。
「でも、ウズマキの言う通りだったね」
食事の片づけを終えたペロが、焚火の囲いに参加した。
「レムルスは、必ず帰ってくるって。どこにも行かないって」
「そうだ。マスターは、この5日間、私が山羊を探している間も、ずっと私を見ていたのだ」
レムルスは驚いた。
「気づいていたのか?」
レムルスは、最新の注意を払い、ウズマキに気づかれぬよう、潜んでいたつもりだった。
「ううん。全く気がづかなかった。でも、マスターが私から目を離すわけないと、思っていた」
そしてウズマキは、口を尖らせる。
「だから、この前みたいに私は勘違いをした。アレは全部マスターが悪い」
うぅむ、と、レムルスは唸った。
ペロは笑った。
「あの後、ウズマキがレムルスに戦いを教えて欲しいってお願いした時、やっぱり、って思ったよ」
「え、なんで?」
「えへへ……」
少し、ペロは悲しそうな顔をした。
ろくな返答をもらえなかったが、ウズマキはどうでも良かった。
今日はゆっくりと休みたかった。
「マスター。今日こそは、マスターも一緒に、拠点の奥で一緒に寝ないか?」
「あ、ペロもそれ、言おうと思ってた」
しかし、レムルスはゆっくりと首を振った。
どれだけ夜を重ねても、レムルスは決して拠点の奥へ入ろうとはしなかった。
「……分かった。おやすみ、マスター」
「ふぁぁ。おやすみ。レムルス」
片手を少し上げ、手のひらを見せ、レムルスは二人の気づかいに応えた。
既に日は暮れていたが、死者の気配は周囲に無かった。
火は不思議だ。死者をも遠ざける力があるようだ。
まるでレムルスのようだ、と、ウズマキは思った。

05-01 ペロの置石

レムルスがウズマキを鍛えている間、ペロは、ウズマキとレムルスのために、新しい草靴を編んでいた。
貴重な山羊の皮は、なめしたままにしてあるが、それで皮靴を作るという発想は、ペロには生まれなかった。
日々、訓練の合間に、ウズマキとレムルスが薪や丈夫な草を採ってきてくれるので、材料は十分にあった。
特にウズマキは、訓練によって草靴を、すぐ履き潰してしまう。
冬に向けて、可能な限り厚みのある草靴になるよう、ひと編み、ひと編みを、心を込めて編んだ。
だが、以前、ムムが編んでくれた草靴とくらべれば、見た目の美しさも、丈夫さも、ほど遠い出来だった。
ペロは、略奪者に連れ去られたムムを思った。
元気だろうか。
ひどいことをされていないだろうか。
お腹は空いていないだろうか。
気が付いたら、ムムに作ってもらった耳飾りを撫で続け、手が止まっていた。
落ち込むものの、ペロは再び手を動かし始めた。
岩穴の寝床では、日の傾きは分からない。
感覚として、そろそろ、食事の準備をする頃だと思った。
ペロは完全に手を止め、背伸びをして、干し芋を一つかじった。
ウズマキの分はほぼ完成しつつあるが、レムルスの草靴は大きいので、あと1日2日は要するだろう。
香草の貯蓄を確認していると、ウズマキの好きな、辛味の強い香草が切れかけている事に気が付いた。
薬草も2つ、3つ、量が不安だった。
近頃、ウズマキはレムルスと行軍訓練のほかに、戦いの訓練も行っており、ウズマキには生傷が絶えない。
香草と薬草を採りにいくかどうか、ペロは迷った。
山羊は、近頃全く姿を見せない。
この辺りが、レムルスとウズマキという、より獰猛な生き物の縄張りだと、獣たちも気づいたのだろう。
略奪者の姿も、ムムがさらわれてから、およそ100日は見ていない。
でも、決して油断はしないようにしよう。
ペロは、自身がが戦いにおいて足手まといなのは、分かっていた。
その上で、略奪者からムムを救おうと足掻いているウズマキのために、出来る限りのことを、したかった。

訓練をほぼ終えたレムルスとウズマキが、拠点に戻った。
拠点の入り口には、ペロが残した置石が残されていた。
それを見た途端、ウズマキの顔色が変わった。
日の傾きを示す置石が、ペロが出立してから、長時間帰って居ない事を示していた。
レムルスもウズマキ同様に、置石が示す意味を、これまでの生活で十分に理解をしていた。
「間もなく日が落ちる。マスター、急いでペロを探そう」
既にレムルスは、置石が示した方向と、ペロの足跡を追い、駆け始めていた。
獣を遥かに超える速さで、すでに姿が小さくなったレムルスの背中を、ウズマキは長槍を握り追いかけた。
しかし、距離は縮まるどころか、数呼吸の間に、レムルスの姿は岩山の奥へと消えていった。
ウズマキは、強靭なレムルスの脚力に驚き、また、これまでの行軍訓練ですら、自分に合わせて加減されたものだと、思い知らされた。
ウズマキは頭を振り、ペロとレムルスの足跡を追うために、再び駆け始めた。

05-02 略奪者

事態は、ほぼ最悪であった。
3人の略奪者が、ペロを拠点へとは逆の方向に連れ去ろうとしていた。
遠目からそれを確認したレムルスは、風のように、だが音も立てず近づいていった。
ペロまであと数歩の所まで辿りつく。
岩陰に隠れながら状況を確認する。
略奪者らは、ペロをまるで家畜のように、首と手を縄で縛り、力任せに引きずっていた。
ペロの頬には、殴られた大きなあざがあり、片耳からは血が流れていた。

「…………ゥ」
ペロを引きずるための縄を握っていた略奪者が、腹に受けたレムルスの一撃で、音も無く地面に倒れこんだ。
唖然とする残り2人の略奪者らは、武器を構えるための十分な時間をレムルスに与えられた。
「レムルス!!」
ペロが自分をかばうように前へ立つレムルスの背に叫んだ。
レムルスは、ペロの口元に血がこびりついていることを確認していた。
「……剛のレムルス!?」
略奪者の一人が呻くように叫んだ。
「なぜ、お前がここにいる! 薄汚い奴隷剣士め! 我々の禄を食んだ恩を忘れたか!」
ペロは混乱した。
略奪者たちはレムルスを知っている。
言葉のほとんどは理解できないが、口々にレムルスを罵っているようだった。
「この女は俺の獲物だ。じきに日が暮れる。この男を連れて去れ」
ペロは、レムルスが発した言葉も、理解できなかった。
なぜレムルスは略奪者の言葉を知っているのか、疑問に思った。
だがそれよりも、聞いた事も無いような、レムルスの怖い声に身がすくんだ。
「きゃッ」
レムルスが足元で気絶している男の顔を踏みつけた。
その野蛮な行為に、ペロはひどく驚いた。
「ぐぅ……」
「むぅ……」
仲間を足蹴にされてなお、2人はレムルスに、構えた武器を使おうとすらしなかった。
やがて、2人は気絶した仲間をそれぞれの肩で支え、去っていった。

3人の略奪者が消え去るまで、レムルスは周囲と3人への警戒を怠らなかった。
「…………レムルス。ごめんね」
「いや、こちらこそ、すまない」
「え?」
レムルスが、自らの片足を胸の辺りまで上げた。
その足の親指と中指には、ペロの耳飾りが挟まれていた。
レムルスに顔を踏まれた男が、ペロから奪いとっていたものであった。
「ペロの大事なもの。足で、すまない」
いつもの優しい、レムルスの声であった。
「…………レムルス、レムルスぅ…………」
ペロは、レムルスから耳飾りを受け取り、それを胸の前で握りしめ、その場にうずくまり、大粒の涙をこぼし始めた。

「…………」
その一連の出来事を、やや離れた岩山高くから、ウズマキは目撃していた。
ウズマキは、瞳を激しく燃やし、去っていく略奪者らの姿と方向を、睨みつけていた。

05-03 選択肢

急ぎレムルスとペロが拠点へ戻ると、ウズマキが立っていた。
「ウズマキ、ごめん」
「ペロ、すまない」
ペロは、戦えない自分が足手まといになっている事を。
ウズマキは、戦える自分がペロを守れなかった事を、それぞれに詫びた。
ウズマキはペロの頬に殴られた痕を認め、目を固く閉じた。
「マスター。なぜ、奴らを殺さなかった」
レムルスは、遠目からウズマキが見ていた事を知っていた。
「………………」
レムルスは答えなかった。
略奪者の斥候隊を殺せば、その一味は決死の覚悟で報復に来る。
それは、今のウズマキに言っても、理解できない事だと思った。
レムルスは、もし、ウズマキが自分を疑い、手に持った槍を突き出しても、それを避けずに受け止めるつもりだった。
そういった覚悟の上で、何も答えなかった。
「マスター。頼む」
ウズマキは、レムルスをまっすぐと見つめた。
「今日は、今日だけは、一緒に、私たちと眠ってくれないか」
「レムルス。ペロからも……お願い」
レムルスは、自分が居なくなった後も、少女たちが過酷な環境で生きていられるよう、できる限りの知識と技術を教えたかった。
しかし、レムルスは、自分が誤っていた事に気づいた。
少女たちは、過酷な環境で生き抜いてきたとはいえ、大人でも、戦士でもない。
まだ、子供なのだ。
レムルスは頷いた。
ウズマキは、いつもよりも力無く頷いて応え、あれからようやく、ペロが微笑んだ。

水路の奥は、レムルスをして、仰天するような光景であった。
二人が耳に着けている耳飾りの原石、アメジストが大量に点在していたのであった。
暗い洞窟の中、見たことも無い、怪しくも美しい、紫色の輝きだった。
「驚いたろう、マスター」
ウズマキの言葉に、レムルスは頷いた。
「もし、マスターが、ここから去る時には、好きなだけ持って行ってくれていい」
寂しそうなウズマキの声であった。
直接的な言葉を交わさなくても、やがてレムルスがここから去るべき意思である事は、弟子であるウズマキが、気づかぬはずがなかった。
「…………」
アメジストは高価だが、危険な鉱石でもあった。
その希少さ、手に入れる事の困難さから、取引自体が難しい。
集落と集落が争い、果ては国同士の争いにまで発展した逸話まで残っている。
「ん、うんっ、んんッ、いや、マスターは手伝わなくてもいい。自分たちでやる」
ウズマキが重い石の蓋を水路の出口に置き、さらにその上に、少女たちは重しの小岩をいくつか積んだ。
水路からの侵入を許さない工夫だった。
壁からはかすかに隙間風も通っている。
水には困らない。
食料さえ蓄えておけば、素晴らしく安全な場所であった。
「マスター。今日はちょっと疲れた。早く眠りたい」
今日の衝撃に加え、ウズマキは日々の疲労も積み重なっていた。
二人は本当に眠そうにしていた。
「レムルス、こっち……」
水に濡れた少女たちの肢体が、アメジストの輝きに浮かび上がり、レムルスを誘った。
枯草を敷き詰めたのが、寝床だった。
そこにレムルスが腰掛けると、二人は両脇に寄り添うように、寝ころんだ。
レムルスはやや躊躇いながら、ウズマキとペロの頭を撫でた。すると、まず泣き始めたのはペロであった。
「ムム……ごめんね。ムム、ごめんねぇ………」
間を置かず、ウズマキが嗚咽を漏らした。
「うぐッ……ふッ、ふぅ……ひっく、ひっく、うぇ……うぇぇぇぇぇ」
レムルスは、二人が泣き疲れて眠った後も、ずっと頭や肩を撫で続けていた。
レムルスは既に、自分の選択肢を、一つへと絞っていた。

06-01 黒樫のヘチマ

アリウムの旗を掲げる略奪者の一味に、「黒樫のヘチマ」と呼ばれる年老いた男がいた。
名に恥じず、良質な黒樫の木を見立てる力を持つ男であったが、争いに参加できぬほど老いているため、一味の中では冷遇をされていた。
ヘチマは普段、アリウムの一味が拠点としている塔の清掃と給仕係を担当していた。
ある日、新しい奴隷の少女を一人、世話をするように首領より命令をされた。
それ自体は珍しい事では無かったのだが、驚いたのは、拠点としている塔の最上階に、少女を閉じ込めるための檻を作れと言うのだ。

「わざわざ上の階に新しい檻を作れとは、どこぞのお嬢様かのぅ」
「いや、俺は一目見たが、蛮族のガキだ。ヘチマのとっつぁん、ここらの木でいいかい?」
「駄目じゃ。その黒樫は虫に食われとる。あっちと、うむ、あっちを切り倒しておくれ」
「じじいめ。こういう時だけ偉そうにしやがる。触りもせずに分かるもんかよ」
「分かる。じゃからして、こっちの『黒樫』は、まだ切り落とされとらん」
ヘチマは、自分の細くしわがれた首を、ポン、ポンと叩いた。
「カカカ。言えてらぁな」
ヘチマは若い略奪者らにあれこれ指示をして、良質な黒樫の木を切り倒し、材料へと切り分け、塔の最上階に運ばせた。
「黒樫の。組みあがったぜ」
若い略奪者が3人がかりで、木の牢を組み上げた。
手伝いをした若い略奪者たちは皆、皮を剥いた黒樫の質に驚いていた。
ヘチマにかける声の中には、かすかに敬意があった。
どうせ今だけじゃろうて。
ヘチマは心の中で毒づいた。
「こりゃぁ、立派だ。俺らぁの寝床よりええわな」
「違いねぇ」
大げさでは無く、若い略奪者らの言葉通りであった。奴隷の少女一人にはもったいない、新しく清潔な牢であった。

「ほぅら、お嬢ちゃん。今日からここが、お前さんのねぐらじゃよ」
明るく、すり寄った声で、ヘチマは少女に声をかけた。
そうで無くては、息苦しくてならなかった。
塔の最上階まで、少女を連れて来た男は「剛のヒガクチ」と呼ばれる、一味で最も力が強い男だった。
口よりもすぐに手を出す乱暴者。
その上加減を知らないから、ひどく奴隷や仲間を傷つけていた。
「首領からの命令だ。この女を必ず逃がすな。殺すな」
お前が言うかね、と、ヘチマは心の中で毒づいた。
「…………」
少女はずっと黙ったままであった。
陰気そうな少女だった。
「ヒガクチ、この子の縄をほどいてやってくれんかの。誰が結んだのか知らんが、結び目がきつすぎる。これではろくに呼吸もできんじゃろうて」
「グハハ。俺が結んだ」
この馬鹿は、皮肉も分からんのか。
とはいえヒガグチを刺激せぬよう、ヘチマは愛想よく努めた。
「ほれ、ほれ、剛力のお前さんしか、この結び目はほどけんて」
「分かった、分かった」
ヒガクチが乱暴に少女の縄を解くと、少女は大きく息を吸い込み、ヒガグチの顔に唾を吐きかけた。
「ガァアアア!!」
逡巡する事なく、ヒガグチの手が、少女の小さな顔を張った。
少女は吹き飛び、黒樫の檻に頭をぶつけ、気絶した。
「こりゃ、死んだかのぅ」
ヘチマは眉をひそめた。
「ち、違う。俺は悪くない。ちゃんと加減して殴った」
「加減なぁ」
少女の頭からは血が流れている。
「へ、ヘチマ。ガキを絶対に殺すな! 首領には言うなッ。わ、分かったな!」
ヒガグチは大きな身体を精一杯屈めて、その場を後にしていった。
注文が多いことで。
ヘチマは小声で毒づきながら、薬を取りに行く前に、気絶した少女がぶつかった檻の場所を確かめた。
「さすがワシが選んだ黒樫じゃ。びくりともしとらんわい」

06-02 薔薇の一味

黒樫のヘチマにとって、奴隷少女の世話は、毒づく暇が無いものであった。
首領は、この少女に靴や手袋を作らせるよう、良質な材料を用意したが、少女はそれらを目前にしても、全く手を出そうとしない。
陰気で頑固な少女だった。
どれだけ若い男たちが怒鳴りちらしても、時には身体を鞭で打っても、うめき声一つ上げなかった。
「お嬢ちゃん。物を言わんのか、言えんのかワシは知らんが。せめて飯の礼ぐらいは、するもんじゃないかのぅ」
牢に入ってから、何一つ言葉を発することの無い少女であったが、食事だけは、毎日しっかり大人顔負けの量をたいらげていた。
「飯食って、怒鳴られて、寝て。飯食って、怒鳴られて、寝て。鞭を打たれて」
食器を片付けながら、独り言のように、ヘチマは毒づいた。
「お嬢ちゃんなんぞに、たいしたもんが作れるとは思えんが、せめて言う事を聞いていれば、鞭で打たれることは無いじゃろうて」
少女の食事は、ヘチマなどが食べるものより、よほど上等な肉や山菜や芋だった。
「あぁ、お嬢ちゃんの背中に塗る薬が切れてしまいそうだ」
ヘチマは、若い男たちを呼ぶために、木の板を3回叩いた。
階段を上り、若い男が面倒臭そうに顔を出した。
「なンだい、じぃさん。先に言っとくが、ガキのおかわりは無いぜ」
最初のうちは、少女が食器を差し出すままに、食事の追加を供給していたが、もう今では毎日最低限度の量しか与えていなかった。
「塗り薬が切れそうじゃ。薬草を摘んできてくれんかのぅ」
「面倒くせぇなぁ。そうだ、昨日からウチに来た、客人にやってもらうかな」
「客人とな?」
「あぁ、物市場の日も近いだろう。首領が薔薇の一味を雇ったんだ」
「薔薇の……!?」
薔薇の一味の名は、年老いたヘチマをして、背筋が凍る思いにさせた。
薔薇の一味とは、戦闘に極めて秀でた、略奪者の一党であった。
海の孤島を拠点として、剣や弓の腕を鍛え続け、他の一味に傭兵を派遣し、生計を立てていると聞いていた。
近隣で薔薇の一味を見た事は無く、遠い場所のおとぎ話ではないかと、ヘチマは思っていたほどだった。
「おめぇ、馬鹿を言っちゃいけねぇ。薔薇の一味に雑用をやらせるなんて、命がいくつあっても足りねぇぞ」
「それがな、もともと奴隷だった奴らしい。図体はでかいが、線が細ぇからなぁ。まともに剣が触れるのかどうかも、怪しいもんだ」
「したって、おめぇ……」
「だいたい、ウチがそんな一流の剣士を野う金があるのかって話よ。薔薇の一味だぜ?」
「眉唾か…………まぁ、言えてるわな」
「首領の無駄使いにならねぇといいけどな。物市場にしたって、ウチには剛のヒガクチがいるってぇのにねぇ」
季節の変わり目に一度、物市場という、近隣の略奪者一味が集まり、取引をする市が開かれる。
その場では、もめ事や、重要な取引は、代表の戦士を出して戦い、その結果で収めることが通例となっていた。
「その、薔薇の人は、下に居るのかい?」
「あぁ、すぐ下の階だ。やることが無いってぇから、ムシロを編んでいる。そっちは意外と器用だぜ。少なくても俺よりな」
剣なら、むしろ自分の方が強いと言わんばかりに、若い略奪者は反り返って笑った。
「働かないが大男並みに飯を食うガキと、ムシロを編む奴隷上がりの剣士ねぇ……」
ウチの一味も多種多様になったものだ、と、ヘチマは心の中で毒づいた。

その日から、ヘチマの雑用は、その奴隷上がりの剣士が請け負うこととなった。
黒い仮面の剣士は、名をレムルスと言った。
「レムルスの旦那も、変わり者じゃのぅ」
どんな雑用でも、レムルスはヘチマの言う事に従った。
それでいて、へりくだった風も無く、かといって、老人のヘチマごときに、と、他の若い者のような嘲る様子も無い。
淡々と物事をこなす男であった。
「剣士なんじゃから、素振りの一つもしてりゃぁよかろうに」
ヘチマの言葉は、嫌味ではなかった。
もし本当に少しは実力があるのだとしたら、素振りの一つもすれば、周りも見直すのではないか。
いつも若い者らに見下されているレムルスを、ヘチマは素直に思いやっていた。

自ずと、ヘチマとレムルスは、少女がいる最上階で、同じ時を過ごす事が多くなった。
年端もいかない少女が捕らえられている事に、レムルスは何も言及しなかった。
だが、きつく結ばれた足枷を緩めたり、自分の食事を半分与えたり、何かと世話を焼いていた。
それらは、首領に知られればきつく咎められる行為であったが、客人のする事ならば、と、半ば自分を言い聞かせ、ヘチマは見て見ぬふりをしていた。