06-03 魔術

レムルスがアリウムの一味に雇われてより、五日後。
カン……カン……。
レムルスがヘチマと共に雑事を終えた後、もはや日課となったムシロ編みをしていると、少女が食器を鳴らした。
「次の食事はまだじゃ。さっき食ろうたばかりじゃというのに」
ヘチマの言葉に少女は首を振った。
ヘチマはおや、と思った。
カン……カン……。
「旦那、もしかして、このガキァ、旦那のムシロを欲しがっているんじゃないのかい?」
レムルスがムシロを差し出すと、少女はひったくるように奪い取った。
「そんな寒い季節じゃあるまいし」
ヘチマは声に出して毒づいたが、その後、言葉を失った。
少女が、レムルスが途中まで編んでいたムシロを、編み始めたのだ。
それも尋常では無い速さで。
その手際を、レムルスは真剣に、ヘチマは驚愕の眼差しで、見つめていた。
あっと言う間に、一枚のムシロが編みあがった。
間近で見たレムルスとヘチマにとって、それはまるで魔術のようであった。
「見事」
レムルスは感嘆のため息をついた。
少女ほどでは無いが、口数の少ないレムルスが思わず口に出した言葉だった。。
少女は、「どうだ」と言わんばかりに、レムルスに向かって薄い胸を張って見せた。
ヘチマは老いた足を大急ぎで動かし、下の階へ報告するために駆けた。

その日から、少女の前でレムルスに、靴や手袋を作らせるよう、首領が命じた。
首領の作戦は功を奏した。
レムルスが作り始める度に、少女は材料の上質な干し草ごと奪い取り、魔術のような手際で、靴や手袋を仕上げてみせた。
丈夫で、美しく、誰が見ても上出来なものであった。
レムルスは必死に、その手際を目で見て盗もうとしていた。
だが、少女の手さばきはあまりにも早すぎて、レムルスの目をしても追いきれぬ部分が多々あった。
すると少女は、重要な箇所を、ゆっくりと編んで見せた。
それはレムルスをひどく喜ばせた。
ただ、少女は次々に作り終えてしまい、際限なくレムルスの途中成果も奪ってしまっていた。
「ガキ様よ。申し訳ないが、旦那の分も残してやっちゃぁくれまいか」
ヘチマは身振り手振りを交え、少女へ苦言を申した。
おそらく、少女は自分たちと共通の言葉を持たないのであろうと、ヘチマは気づいていた。
すると、その意図は概ね伝わったようで、少女はレムルスが編んだムシロに視線を移した。
「いや、ムシロの事じゃあねぇ。靴や手袋の事を言っとるんじゃ。見ねぇ、旦那の作った分なんて、一つもありゃしねぇじゃねぇか」
ヘチマは、山のように積み重なった少女の成果を指さした。
一味にとっては余計な事な気づかいであったが、既に物市へ出す目標の量には近づきつつあった。
少女のやる気を出させるために、ヘチマはレムルスのやる気も削ぎたくなかったし、何よりレムルスが気の毒であった。
「……」
少女は頬を膨らまし、そっぽを向いた。
クソガキめ。
ヘチマは舌を打ち、あぐらをかいたままぐっと身を乗り出して、少女を睨んだ。
「いいか。旦那の作ったモンは、ムシロはともかく、まぁそれはお世辞じゃが……それ以外のもん、靴や手袋は、お世辞にも売りもんにはならねぇ」
こんこんと、ヘチマは続けた。
「しかしじゃ、ガキ様よ。お前さん、飯の量を増やしてもらったにも関わらず、相変わらず旦那の分を半分もらってるじゃねぇか」
少女はそっぽを向いたままだった。
「思いやりってぇもんがねぇのか、お前さんには。えぇ?」
ヘチマが言い終えると、少女は「略奪者の一味であるお前たちがどの口で言っているのか」と、言わんばかりに、二人の男へ背を向けた。
「すまねぇ、旦那。あのクソガキ様ァ、あの通りじゃ」
レムルスは小さく首を振って、自分が編んだムシロを、じッと見つめていた。
ヘチマは「しまった」と思った。
先ほど自分が言った言葉を、レムルスが気にしてしまっているようだったからだ。
「あぁ、まったく、おかしな事になっちまったもんじゃよ」
ヘチマは大きく声に出し、毒づいた。

07-01 黒樫の檻

アリウムの一味にレムルスが草鞋を脱いでから、季節が一つ変わろうとしていた。
レムルスと少女が来て初めての物市が、間近に迫っていた。
「首領も人使いが荒い事でなァ」
ヘチマは干した良質な若草を、さらに良いものと、そうでないものとに分別をしていた。
「こんなモンで、どうござんしょう」
ヘチマは、面倒な作業を早く終わらせたくて、ざっくりと分けたものを少女に差し出して見せた。
「…………」
少女はそっぽを向いた。
「荒ぇのは、何も首領だけじゃねぇか。分かりましたよ、と」
本来であれば、草の仕分けはレムルスの担当であった。
だが、彼は今、少女の目に適う若草を摘みに、外へと出ていた。
最近はレムルスも、ようやく一つ、二つと、少女がバラしたり仕上げをしたりせずに済む出来の、草手袋を編めるようになっていた。
少女の助手をレムルスが、レムルスの助手をヘチマが担うといった、流れ作業になりつつあった。
以前ヘチマが口を滑らせたように、レムルスが編んだものは、物市に出せる出来では無かった。
しかし、一味のものに希望者がいれば、配られていた。
ヘチマが今履いている草靴も、レムルスが編んだものであった。
「ッたく。誰が雇ったんじゃか、誰が奴隷なんじゃか、分かったもんじゃありゃぁしねぇよ」
口で毒づくほど、なぜかヘチマは、不機嫌で無かった。

乱暴に、階段を上がる音が聞こえた。
「不味いな。首領も今外か」
ヘチマは嫌な予感がした。
その重い足音は、ヘチマが予想をした通り「剛のヒガクチ」であった。
「ヘチマ。女の靴、一つ寄越せ」
ヒガクチが、ヘチマと少女の居る最上階へ顔を出したと同時に、傲然と要求を突きつけてきた。
「剛の。首領の許可は取ってるんだろうね?」
「首領には言うな」
やはり面倒くさい事になった、と、ヘチマは心の中で毒づいた。
少女の編んだ草靴と草手袋は、首領の分を除いては、全て物市へ出すこととなっている。
それはヘチマも、念を押して首領より命令を受けていた。
「それだけの量がある。一つぐらい俺がもらっても、バレるわけが無い」
「簡単に言わねぇでくれ」
バレるに決まっている。それほど、少女が作った草靴は別格なのだ。
ヘチマ個人としては、何をするか分からないヒガクチに一つぐらい、くれてやりたいぐらいだった。
しかし、後で首領に知られた時、咎められるのは、間違いなくヘチマであった。
「堪忍しておくれよ。ワシが首領に言わんでも、お前さんが履いてりゃ、すぐバレる」
「どれも小さいな。一番でかいのはどれだ。あぁ、もういい。女、今すぐ編め」
少女はヒガグチの足音が聞こえた時から、既に檻の隅で、背中を向けて座っていた。
やれやれ、ろくに会話をしようともしない奴を2人相手に、どう切り抜けるか、ヘチマは思案した。
「おい、鍵よこせ」
絶望的であった。
ヒガグチは、少女に力づくで、自分の草靴を編ませようと考えているらしい。
この馬鹿は学ばないのか。
ヘチマは鍵を外に投げてしまおうか、悩んだ。
「後生じゃよ、剛の。せめて物市が終わってからにしてくれまいか……あぁッ!」
ヒガグチは、ヘチマが予想していたよりもよほど素早く動き、ヘチマが尻の下に隠していた鍵を奪い取った。
そしてヒガグチは、鍵を開け、少女の檻へと入り、内側から鍵を閉めた。
「剛の!! いい加減にしねぇか!」
檻を揺すって非難するヘチマを無視して、既にヒガグチは、少女の髪を掴み、頬を叩き始めていた。
少女を口で説得しようとすらしない分、一応学んではいたのか、と、ヘチマは苦虫を嚙み潰した。
「あぁ、あぁああ……剛の、やめとくれ、剛の…………」
ヘチマは、無抵抗の少女が、ヒガグチのなすがままになっているのを、見ているだけしかできなかった。
バキン!
ヘチマは度肝を抜かれた。
いつの間にか外から戻ったレムルスが、黒樫の檻を、腕力だけでへし折ったのだ。
「な、なんだ、奴隷上がり……ンアァッ!?」
ボキン。
ヒガグチの太い腕の骨が折れる音と、ヒガグチの悲鳴が、同時だった。
「ンガァン!」
怒りと痛みに任せ、自分の骨を折った男を叩き潰そうと、振り上げたもう片方の腕も、レムルスに難なく折られた。
「ひぎぃ! ひぎぃぃぃ!!」
女のように泣きながらヒガグチは、身体をこれでもかと縮めて、下の階へと逃げ去っていった。
「あぁ、良かった。良かったよぅ。レムルスの旦那。クソガキ様は、ちゃんと息をしていなさるわ」
少女を楽な姿勢にさせ、介抱しているレムルスに、ヘチマは声をかけた。
レムルスは少女から視線を外さず、頷いたが、それは心底少女を心配してのものであった。
一方ヘチマは、少女が生きていて、自分が首領から咎を受けないで済んだ事だけを、安堵した。

07-02 物市

物市の成果は上々だった。
首領にとって、予想をはるかに超える利益が上がったようだ。
その成果はほとんど、少女が生み出したものと言えた。
「金のリンゴを産む苗木だと、分かっていたのは俺だけだったな」
塔の最上階で、首領は高級な茶をすすり、満足そうに呟いた。
「ふぅ。ふぅ。おぉ、あちち」
ヘチマも相伴に預かっている。
「ふふふ。夜は上等な酒が待っているぞ。楽しみにしておれ」
上機嫌な首領は、一味に特別手当を支給した。
しかし、その金も、首領から物品を贖うために使うのだから、結局首領の懐に入る金であった。
少女はレムルスが居ない時は、たいてい背を向けて牢の隅に座っていた。
「レムルスの旦那はいかがでしたか?」
「剛のレムルスか」
レムルスに打ち倒されたヒガグチは、その日のうちに、首領から一味を追放された。
代わりにレムルスが、「剛の」呼び名を一味から受ける事となった。
ヒガグチの両腕だけではなく、ヘチマが選んだ黒樫の檻を素手でへし折ったと聞けば、異を唱える者など誰一人としていなかった。
「物市じゃ、一騎打ちの催しもあったんでがしょう? レムルスの旦那は活躍なさったんで?」
「いや、全く、その機会は無かった」
ほぅ。とヘチマは不思議に思った。
「相手が皆、レムルスとの戦いを避けよった。まぁ、損害が生まれなかっただけ、良かったとしておこう」
首領曰く、薔薇の一味で、剛のヒガグチを相手にもしなかったという情報が、他の一味にも知れ渡っていたからであろう、と。
「剛のレムルス、良い名ですなァ。したっけ、ガキ様の面倒見役としてだけでも、安い買い物で」
「あぁ。薔薇の一味に、契約を延ばす伝令を送ったよ。剛のレムルスは、もうしばらく、ウチが抱えさせてもらう」
「重畳なことで」
ヘチマはほッとした。
温厚なレムルスと過ごす日々は、ヘチマにとっても穏やかな気持ちが芽生え始めていた。
「とはいえ、首領。今一つ、不安が」
「なんだ?」
ヘチマは、ここ最近になって生まれた懸念を口に出した。
「レムルスの旦那は、あんな細身のどこに隠していたのか、とびきりに強い。それはもう十分に分かりやした」
ヘチマは、レムルスに破壊された黒樫の檻を眺めた。
へし折れた箇所は、既に修復されている。
「すると、レムルスの旦那が、あのクソガキ様を逃がしちまうんじゃないかって、心配をしやしてね」
レムルスであれば、十分に可能だと思われた。
素手ですら、あの有様だったのだ。
剣を一本与えてしまえば、昼間でも堂々とやってのけるだろう。
もしそうなれば、やはり咎めを受けるのは、ヘチマであった。
「心配いらんよ」
「おぉ、その理由を、この老木に」
「もし、レムルスが裏切るか、あるいは役に立たなければ、薔薇の一味がレムルスを罰する契約になっている」
「ほぅ。それは、それは」
ヘチマは安堵した。
ただ、レムルスの境遇を気の毒にも思った。
流石の彼も、裏切りはともかく、失敗しただけで、おそらく同じほどの強さを持つのであろう、薔薇の一味から追われるとは。
「…………」
ふと、ヘチマは少女の背中を見た。
小さな背中だった。
首領と自分が交わした会話の内容を、理解しているのか、していないのか。
ここ最近、少女は略奪者が使う言葉を理解しつつあるように思える。
ただ、会話の内容を知られた所で、少女にとっては、境遇を受け入れる理由が、一つ増えるだけであろう。
「………………」
「おい、どうした?」
「えぇ? あぁ、すいやせん。歳をとると、ついぼんやりする事が多くなっちまいましてねぇ」
「頼むぞヘチマ」
「へぇ、へぇ……」
ヘチマは、ぬるくなった甘い茶を、一息に飲み干した。

07-03 師の命

二度目の物市が終わった翌日。
夏の盛りでひどく蒸し暑いからか、レムルスがアリウムの一味を去る日であったからか。
その日だけは、レムルスと少女とヘチマ、三人とも、何も仕事を命じられなかった。
だが、ヘチマは不機嫌を隠そうもしなかった。
最後の昼食を採りながら、三人は無言だった。
レムルスが去る理由は、薔薇の一味がレムルスの賃金を値上げした事が原因であった。
それは、首領が到底受け入れられない額であった。
「旦那、次はどちらに行かれるんで?」
ようやく口を開いたヘチマに、レムルスは首を振って応えた。
次の雇われ先は決まっていないようだった。
「それなら、少しはのんびりできらぁなァ……」
正直、ヘチマは寂しかった。
レムルスと少女と、物作りに携わってきた日々は、ヘチマにとって、決して無為ではなかった。
少女とレムルスの2人であれば猶更だ、と、ヘチマは疑ってさえいなかった。
すると、レムルスが、少女と一時、二人きりで話をしたいと言ってきた。
「…………」
何も言わず、ヘチマは重い腰を上げた。
ふと、ヘチマはレムルスの剣に視線を向けた。
もう楽しみも無かろうて、それも良いか。
たとえ何が起ころうとも、全てを受け入れる覚悟をして、老人は下の階へと降りていった。

部屋には、レムルスと少女の、2人きりとなった。
食事中も少女は牢の片隅で、レムルスに背を向けたままだった。
今は横になっており、眠っているようにも見える。
「師匠。お世話になりました。ところで、もしよければ、私と一緒にここを出ませんか?」
まるで散歩に誘うが如く、レムルスが少女に語りかけた。
少女は飛び起き、レムルスに駆け寄って、黒樫の檻を手で掴み、レムルスの瞳を見つめた。
「…………」
「…………」
2人は視線で語り合っていた。少女は本気? と、問うた。
レムルスは本気だと、頷いた。
少女は、しばらくレムルスの瞳を見つめた後、うつむいた。
「無理」
囁くような特徴のある、声だった。
拒否をされたレムルスであったが、瞳は動かなかった。
「だって、レムルス、ヘチマみたいに、ご飯、作れない」
途切れ途切れだが、しっかりと理解できる、略奪者の言語を少女は喋った。
「努力します。それに、ヘチマ殿も、連れて行くつもりです」
レムルスは、少女の言語で答えた。
「嫌。行くのなら、一人で行って。私を巻き込まないで」
レムルスの瞳が動いた。
少女を連れ出し、アリウムの一味を裏切れば、薔薇から追われる事を、少女は知っていたのだろうか。
それならば、と、レムルスは、少女の言わん事を理解たつもりとなって、諦めた。
だがそれは、少女が口には出せぬ想いの、半分のみであった。
「レムルス、一つだけ、お願い、聞いて」
「はい。師匠の命であれば、どのような事でも」
少女は、密かに編んだ草紐と紙を取り出し、レムルスへと渡した。
私の仲間に、ウズマキとペロという名の少女がいる。
少女は淡々と、囁くように、そう言って、紙に炭で記した拠点の場所を、指さした。
「二人に草紐を渡して。私、死んだと、伝えてほしい」
受け難い指示に、うつむいたレムルスへ、少女は初めて笑った。
「師匠からの、命令、だよ」
レムルスは去り際、師の名を尋ねた。
長い髪の少女は、ムムと言った。

08-01 黒曜石のアクアボス

金の力は恐ろしい。
大量のエメラルドを手に入れてしまった首領は、人が変わってしまったようだった。
一言目には「金を稼げ」
二言目には「誰のおかげで食えているのだ」
誰も何も、奴隷の少女と、今は居ない奴隷上がりの剣士のおかげだろう。
黒樫のヘチマはもちろん、皆そう思っていたが、誰も口には出せなかった。
以前は、金よりも、いや、少なくても金と同程度には、仁義を重んじる男であった。
それが、レムルスが去る時などには、彼が身に着けた剣や服は全て一味が支給したものだと、裸一貫で追い出したのだ。
今では、首領にとって、エメラルドの一かけらより重いものは無いらしい。
金、いや、エメラルドの輝きは、なぜ人の心を眩ませるのだろうか。
短い秋が終わろうとしている頃、レムルスが去ってから、ヘチマは日々を感傷的に過ごしていた。
年老いたせいだろうか。
それとも、孫ほど歳が離れた奴隷の少女が、弟子が去った後も、健気に物作りを続けているからであろうか。
首領は少女に、「稼げばまたレムルスを雇おう」と、守るつもりもない約束をしていた。
少女は皮靴を、皮手袋を、黙々と作り続けていた。
しかし、何があっても減る事が無かった少女の食欲が、今では半分以下の量になっていた。
首領がレムルスの代わりに雇った剣士たちも、どうも好きになれない。
今までなら、そこまで毛嫌いする事も無かったろうが、どうしてもレムルスと比べてしまうのだった。
時節を無視して、今日はレムルスが去った日のように、うだるほど暑い。
ヘチマは、窓の外から照り付ける太陽を睨みつけ、言葉にならない毒を、ため息にして吐き出した。

「剣とは、命を奪うものだ。略奪者である我々そのものと言って良い」
新参の傭兵団、「スズラン」の旗を掲げる一味、「黒曜石のアクアボス」は、淡々と言い切った。
黒曜石は名前負けじゃろ。いいから水浴びをして来い。剣の腕よりもまず身体を磨け。
部屋に充満するすえた匂いに顔をしかめながら、いくつもの毒を、ヘチマは喉の奥に飲み込んだ。
スズランの一味は、身なりも、こびり付いた垢の層も、明らかに食い詰めた略奪者のそれであった。
塔の最上階では、アリウムの首領が主体となって、会議が行われていた。
「あの奴隷を奪われない事が肝要だ。特に夜、同士討ちは避けたいゆえ、塔の周りに壕を築こうと思うが、どうだ」
首領がまず、具体的な提案をした。
やや鼻が詰まったような声だった。
「無用。塔の入り口は二つ。我々を五人ずつ三班に分け、一班と二班は前後の入り口を、三班は塔の中で予備兵として配置して頂きたい」
アクアボスは、三班を交代制で、2つの入り口を守りたいと言った。
「スズランの、私は……」
「黒曜石でいい」
「……黒曜石の。私は貴様らの腕を信用している。しかしだ、混戦になると何が起こるか分からないのが、争いの常だ」
一回り年が若いアクアボスであったが、首領がアクアボスに気を使っているのがありありと分かった。
ヘチマは「スズランの一味」、「黒曜石のアクアボス」など、初耳であったから、怪訝な顔を隠そうともしなかった。
「黒曜石の。貴様らがより優位に戦えるよう、場を整えたいと思うのは、間違いだろうか」
「アリウムの。数的優位など、我々は必要としない。戦う時は常に1対1だ」
「であるからして、常に貴様らが1対1で戦えるための環境を整えたいのだ」
「くどいぞ」
アクアボスは剣を抜き、空を一線した。
ピュ。
音と同時に、既にアクアボスは剣を腰におさめていた。
机の上に、両断された小さな羽虫が落ちた。
老人の目では到底終えない剣の速さであった。
身なりも頭の中も垢まみれだが、どうやら剣の腕だけは確からしい。
「我々が壕であり、砦であり、城である。これ以上、スズランの誇りを傷つける発言は、控えて頂きたい」
首領は、苦い顔をしていた。
アクアボスの無礼に怒り狂わないのは、よほど安い賃金で契約したからだと、ヘチマは確信した。
「分かった。では、次の話だ。斥候が剛のレムルスに襲われたらしい」
「ほぅ。剛のレムルス。聞けば薔薇の一味だとか。是非手合わせをしてみたい」
「黒曜石の。そんな余裕がある状況では無いのだ。奴隷の女を狙って、いくつかの一味が、我々に攻め込む準備をしている、という情報がある」
派手に稼ぎ過ぎましたな。
ヘチマが毒づかなくても、一味の皆が思っている事であった。
「その上、レムルス、もとい、薔薇の一味自体と敵対するのは、どうしても避けたい。一応薔薇へ鳥は送ったが、どのような返答が来る事やら……」
どうやら首領は、レムルスと斥候の騒動が、薔薇の一味との争いに発展する事を恐れているらしい。
ヘチマは、レムルスと斥候との間に何があったのかは知る由もないが、彼の一存だと思っていた。
薔薇が名を馳せているのは、契約と仁義を重んじる一味であったからだ。
いくらレムルスとの契約を終了したからといって、途端に一味全体が敵対姿勢を取るなど、考え難い。
何もかも、疑い深くなってしまうのは、やはりエメラルドの魔力なのだろうか。
「くふふ、面白い。有象無象の奴らどもよりも、薔薇の一味が相手であれば、なおよし」
黒曜石のアクアボスはうそぶいた。
良くねぇって若造。無いとは思うけんども、レムルスの旦那みたいなんが数十人も来たら、たまんねぇや。
ヘチマは口の中でモゴモゴと、毒づいた。
その時。
「レムルスだ! 剛のレムルスが来たぞ!!」
下で若い一味の叫び声が聞こえた。
檻の中で狸寝入りを決め込んでいた奴隷の少女が、飛び起きた。

08-02 物作りの喜びに

石の剣を構えた略奪者ども。
一人一人が、ウズマキから大事な仲間、ムムを奪った敵だった。
ウズマキの傍らにいるレムルスも、一時はその一味であった。
だが、ウズマキには、レムルスを疑うという発想が、もう無かった。
ムムは生きている。
あの日、翌朝、レムルスは、ムムが編んだ草紐をウズマキとペロに差し出し、持てる言葉の限りを尽くし、説明をした。
ペロはムムが生きていると分かっただけで、ずっと喜びの涙を流していた。
ウズマキは、あの日の事を思い出すだけで、こんな時だというのに、彼に一晩中撫でられていた肩が、熱く火照った。
レムルスの提案に従い、ペロを置き、略奪者の拠点へ、二人は乗り込んでいた。

「アリウムの首領と話しがしたい」
レムルスが略奪者の言語で、男たちへ呼びかけた。
「剛のレムルス、何故我々を襲った!」
「裏切者のレムルス!!」
男たちは次々に、レムルスへ罵声を浴びせた。
ウズマキは、略奪者どもの言葉は理解できないが、言い返したい、手に持った槍で叩き伏せたい衝動に駆られた。
しかし、師であるレムルスから、全て彼に任せること、また、戦いとなっても、決して殺してはならない事を、約束させられていた。
ウズマキは、自分たちを囲んでいる男たちの数を数えた。
三十を少し越えている。
良く観察すると、アリウムの印を付けている男たちの中に、スズランの印を付けている男たちが混じっていた。
スズランの男たちは身なりがひどく汚れており、一歩後ろに下がって、剣も抜かず、状況を楽しんでいるようにも、興味深く眺めているようにも見えた。
ウズマキは、剣を抜いてレムルスに声だけをがなりたてるアリウムの男たちよりも、スズランの男たちを警戒した。
「おや、何の騒ぎかと思えば、剛のレムルスではないか」
塔の中から、数人の男たちが出て来た。
レムルスの名を呼んだ男。
この男がアリウムの首領だと、ウズマキは確信した。
身に着けた上等な皮靴と皮手袋は、レムルスに聞いた通り、ムムが作った物で、間違いない。
「ふむ。強いな」
続いて塔から出てきた若い男は、ウズマキが居る場所まで体臭が漂ってきそうなほど、薄汚れていた。
だが、ウズマキは本能で感じとった。
レムルスを見ただけで強いと断じたあの男こそ、相当に強い。
胸板はレムルスの倍ほどに盛り上がっており、獰猛かつ強靭な山羊を思わせた。

「首領。すまない」
「レムルス。私はお前から、何か謝られるような事をされたのかな」
「アリウムの仲間を傷つけた」
「そうか。事実であったか。薔薇の指示か?」
「いや、俺が勝手にやっている事だ。薔薇の一味は関係ない」
「ふむ……ふふふ、しかし、遅かったなレムルス。既に、薔薇へこの事は伝えているぞ」
「やむを得ぬ」
「やむを得ぬ!? 貴様は、契約を終えたとはいえ、直前までの雇い主を裏切ったのだぞ! お前は薔薇の一味から制裁を受ける、必ずお前は死ぬ、もしこの場を逃れてもな!」
ウズマキは、首領の言葉を理解できていなかったが、何か不吉な事を言われているのは分かった。
「今! 切り刻め! 今! 切り刻め!」
アリウムの男たちが激高し、強く足踏み、連呼する。
多勢だと思い、甘くみおって。
ウズマキは臆する事なく、身をかがめて呻った。
「それで、謝罪の代わりに、連れている女の奴隷を差し出そうとでも言うのか?」
「いや、彼女は奴隷ではない。友人だ」
「はは、奴隷の友人は奴隷か。では、話は終わりだな」
首領が手を挙げ、男たちが剣を構え直した。
だが、身体を汚したスズランの男たちは、剣を抜こうともしない。
それを確認してか、首領はやや不満そうな顔をした。
「いや、話は終わりではない。彼女を、ムムを、解放してほしい」
レムルスの静かな要求は、場を静寂に支配させた。
首領は手を挙げたまま、呆然としていた。
誰かが笑い、次第にその波紋が広がっていく。
「頼む、首領。彼女を介抱してくれ。取引材料はある」
「ははは、あぁ、ははは。ふんッ……聞くだけ聞こう」
レムルスは、背嚢から大きな塊を取り出した。
それは、アメジストの鉱石であった。
「……おぉ」
周囲の反応が一変する。
「これだけではない。さらに多くのアメジストが眠っている場所を、案内する」
レムルスは、ペロとウズマキに許可を得ていた。
略奪者と交渉をするという発想も力も無かった二人は、ムムが戻ってくるのであれば、と、レムルスの提案に従った。
「それには、薔薇への釈明も、含まれているのか」
「そう願いたい」
「少し考える。待て」
アリウムの首領は、石の上に腰を下ろした。
首領が薔薇へレムルスの釈明をしなければ、レムルスは薔薇から命を狙われる。
だからこそ、レムルスの話を、首領は信用できた。
レムルスは、首領の性格を知った上での、交渉をしていた。
首領は、物市で少女の作る物は評判となりつつあり、護衛の剣士を今以上雇う金も、惜しかった。
目の前の鉱石だけでも、奴隷の少女と引き換えにするのを悩むほどの大きさだった。
それが大量となれば…………首領の中で、選択肢が限られていった。
「ガキの解放は、アメジストの鉱脈を確かめてからで良いのだな?」
「無論」
「決まりだ」
首領の一言で場の熱気は急速に冷め、幾人かの男たちは、剣を下ろし始めた。

「待てぃ! 待て待て待て、待てぇ!」
ひと際薄汚い、狂暴な山羊を思わせる男が、堂々と間に入ってきた。
ウズマキはもちろん、レムルスの間合いだったので、ウズマキはレムルスの顔を見たが、首を振るだけだった。
「剛のレムルス! 我は黒曜石のアクアボス、貴様との一騎打ちを所望する! 我と立ち会う勇気はあるか!」
「黒曜石の! レムルスとの話はもうついた。決闘など無用だ!」
「首領、何をぬるい事を。勝利した方が、奴隷の少女も、アメジストも、総取りで良いではないか!?」
一瞬、首領の瞳に、欲の炎がチラついた。
また、アクアボスの言葉によって、場に熱気が戻りつつあった。
「だが、私は『決まりだ』と言ってしまった。既に取引は成立している。それを私から破る事はできない」
私が、という部分を、やや首領は強調して聞かせた。
「であれば、剛のレムルスが許可をすれば、首領は受け入れるのだな」
「勝てるのか? 薔薇の一味、剛のレムルスに」
「ふふふ……俺ほどの剣使いになれば、見ただけで実力は分かる。名の通り、細身の割に腕力はありそうだが、せいぜい剣は中の上と言った所だろう」
「して、貴様の実力は?」
「上の上なり」
「……よし、黒曜石の、貴様に任せよう」
「聞いたか、剛のレムルス! 受けるか、受けぬか、如何!」
レムルスはやや考えた後に、頷いた。
「誰か、剣をレムルスに」
アクアボスがそう求めると、若い略奪者が、研ぎの甘い刃こぼれだらけの石の剣を、レムルスに投げつけた。
レムルスはそれを難なく受け取り、ゆったりと構えた。
「……………………」
その場に居る、略奪者全員と、ウズマキが、絶句した。
レムルスの、剣を構えるまでの短い所作を見て。
「美しい」
ため息を飲み込んで吐き出したその感動は、ウズマキにとって、初めて芽生えたものであった。
剣を知らない者には、ただただ「美しい」と思わせる、姿であった。
だが、対面しているアクアボスは、剣を知る者であったから、その構えが、何万回、何十万回、否、それ以上に、剣を振り尽くさねばできぬものだと、即座に理解できた。
「…………参った。私の負けだ」
アクアボスは、レムルスの前に自らの剣を置き、首を垂れた。
「なッ、なッ、なッ、なッ」
当然、うろたえるのはアリウムの首領であった。
「何を言ってるんだお前は! 自分で勝手に一騎打ちしたいと名乗り出て、剣を交えもしないうちから降参しおって!」
「首領、すまぬがレムルス殿の剣は、達人の域をはるかに超えている。上の上の上と言った所か」
「ふざけるな!! 何なのだお前は!! 何がやりたかったのだ! 馬鹿野郎!!! 野郎ども! 殺せ! レムルスを殺せぇ!!!」
「我々の勝負を軽んじるかッ。スズランの一味、レムルス殿を守れぇ!!」
大混戦が始まった。

数の上では、アリウムの一味がはるかに勝っていたが、スズランの一味は全員が手練れであった。
レムルスやウズマキがまともに参戦する間も無く、数人が打ち倒されると、アリウムの一味は首領を含め四散した。
「レムルス! アクアボス! 覚えていろよ!」
レムルスはそう言いたくなる首領の気持ちも、僅かながら理解ができた。
「まとまった賃金をもらえぬまま、また雇い主を失ってしまったよ」
レムルスの傍らで、アクアボスは、本気で落ち込んでいるようだった。
「我は、剣は得意なのだが、金を稼ぐ事はどうも苦手なようだ。だいたい、いたいけな少女を奴隷として働かせる事自体、どうもあの首領は好きになれなかった」
およそ略奪者らしからぬ事を、アクアボスは言ってのけた。
若く、不器用で、真っすぐな男なのであろう。
そう思ったレムルスも、アクアボスより少し上程度の歳であったが。
「ウズマキ! レムルス!!」
「ムム!!?」
ムムが、塔の中から飛び出して来た。
ウズマキは、目から大粒の涙を流して、ムムに向かって駆けた。
二度と会えないと思っていた。
ようやく会えた。
ペロが喜ぶ。
何より、ウズマキ自身、全身が打ち震えるほど、嬉しかった。
しかし、ムムはウズマキの肩をポンと叩いただけですり抜け、レムルスへ飛びつくようにして、抱き着いた。
「バカッ、バカッ、レムルスのバカ…………! 私のために、薔薇の一味から命を狙われるのに………!」
ウズマキが聞き慣れた、囁くような、しかし聞いた事も無いような、ムムの激しい声だった。
「師匠。どうにもならなかったのです。師匠と出会って、物作りの喜びを知って。ウズマキと、ペロと出会って。二人がどれだけ、師匠を想っていたかを知って」
ムムを抱きしめようとしていたウズマキは、両手を広げた姿勢のまま、首だけを振り向かせ、二人の様を目撃していた。
「私は、この選択肢以外、どうにもならなかったのです」
「いい、いい。もういいの、レムルス、ありがとう……!」
二人が使っていたのは自分たちの言語であったから、ウズマキは十分に、言葉だけは理解できた。
そこに、ムムの牢を開けたヘチマが姿を現した。
「よかった。よかったなぁ、レムルスの旦那」
黒樫のヘチマは涙ぐんでいた。
「レムルス殿と少女殿は、そういう関係だったのか。ふむ、我々も役に立ったという事なら、万事良かった」
黒曜石のアクアボスは、勝手に納得していた。
「こいつら、本当に何のだッ。何がどうなっているのか、私に説明しろムム! マスター!」
ウズマキは、ムムとレムルスに向かって、力強く駆けていった。

───鋼鉄のレムルス 第1部 了

09-01 旅立ち

───鋼鉄のレムルス 第2部

「ヒナギクの一味ってぇのは、どうですかい。ガキも多いし、キクの印はワシや旦那にぴったりだ」
石鍋の芋汁をかき混ぜながら、黒樫のヘチマは申し出た。
「マスター、あのじじいは何と言っている?」
レムルスが通訳をすると、ウズマキは顔を真っ赤にした。
「誰が略奪者の一味になどなるか! じじい、はっきりと言っておくが、お前は命を奪われないだけありがたいと思え!」
身振り手振りを交えたウズマキの激しい言葉は、レムルスの通訳を必要としなかった。
「おっかないガキじゃのぅ。気の毒に、嫁の貰い手も無いじゃろうて。一味を増やさねばならぬのに、難儀なことじゃ」
ヘチマはどこか楽しそうに、毒を吐いていた。
「マスター!」
「ウズマキ、お前がヘチマ殿を許せないのであれば、私が許される道理は無い」
「ぅぅ…………マスターが許せと言うなら……許そう。しかし、マスターは、私たちを略奪者にしたいのか?」
「いや、そのようなつもりは一切ない。しかし、まずは互いに、やりたい事、やらねばならぬ事を、率直な言葉で交わしたいと思っている」
「……うん……うぅん……うん、分かった。では聞こう。先ほどあのじじいは、私に何と言ったのだ?」
レムルスは、答えに窮した。
すると、ぴったりとレムルスに寄り添い、煮える前の芋をつまみ食いしているムムが、囁くように呟いた。
「ウズマキは、嫁の貰い手が無いだろうから、かわいそうだって」
「クククッ、くそじじい! 言ってはならぬ事を言ったな!!」
ウズマキは槍を握り立ち上がった。
「ウズマキ」
「だって! 私が、よ……嫁の貰い手が無いって……マスターも、そう思っているのか?」
槍をもじもじと握りながら、ウズマキは上目遣いでレムルスを見つめた。
「……そんな事は無い」
「えへへ。そっか。ならじじいに何言われても、私は気にしない」
「レムルス、少し間があった」
「ムム、そういう事を言わないの」
手際良く、様々な料理の味付けを仕上げながら、ペロがムムを窘めた。
「だって」
「ムムも、ウズマキも、本当にレムルスが好きなんだねぇ」
ペロは目を細めた。
「うん。ペロも、レムルスが好きなの?」
淡々と、ムムが囁いた。
「そうだよ。でも、ウズマキやムムほどじゃ、無いと思うなぁ」
「なんで?」
「なんでって……なんでだろう? ウズマキに怒られるから、かなぁ」
「別に、私は怒らないぞ。ペロと私、二人がマスターの嫁になっても、良いではないか」
「え、いいの!?」
ペロは顔を崩して笑った。
「え、私は?」
ムムは表情を変えないまま怒っていた。
「お前は、なんかやだ」
ウズマキは、まだ再会した時の事を根に持っていた。
「じゃあ、私もやだ。レムルスは私の弟子だから、ウズマキなんかにあげない」
「そ、それはずるいんじゃないかなぁ!」

アリウムの拠点である塔には、ムムが作った革の装備など、貴重な品が残されていた。
だが、その全てにレムルスは、手を付けなかった。
今となっては修復不可能な関係となってしまったが、これ以上、恨みを重ねるのは得策では無かったし、何よりレムルスは、もう略奪者では無いつもりでいた。
塔の管理は、黒曜石のアクアボスに一任をした。
「承知」
レムルスの意図を理解したアクアボスは、快く引き受けた。
アクアボスは、アリウムの一味が戻って来れば、塔を明け渡すと約束してくれた。
その対価は、レムルスらが持参していた、こぶし大ほどのアメジストであった。
「ありがたい。思わぬ収入を得た。レムルス殿に心の底から感謝する」
アクアボスら、スズランの一味と別れ、レムルスとウズマキは、ペロの待つ岩穴の拠点へと戻っていた。
ヘチマは当然のように付いてきていた。
ムムとの再会にペロは喜び、泣き、また喜び、ありったけの御馳走を作り始めた。
「賑やかな事じゃて。まま、旦那、一杯やりましょうや」
ヘチマは身の回りの物以外で、レムルスに隠れて酒だけをくすねていた。
「ヘチマ殿は、やはり、略奪者の稼業からは離れられないのだろうか」
レムルスは、木の器に注がれた酒に口を付けず、ヘチマを見た。
「いんや。さっきのは冗談みたいなもんさ。じゃが、ワシはもう旦那を首領だと思っておる。旦那がやりたいように、やっておくんなさい」
レムルスは、ようやく酒に口を付けた。
「しかし、私はヘチマ殿も友人だと思っている。どうか今まで通り、接してほしい」
「泣かせるねぇ。で、これからどうなさるおつもりで?」
「村を探したい。なるべく、略奪者と関わりの無い」
「…………」
ヘチマは、難しい注文だと思った。
村自体を探すのが難しい。
見つけた所で、略奪者と大なり小なり関わりのある村がほとんどだ。
また、老人と子供3人を連れた剣士を受け入れてくれる村など、あるのだろうか。
「よござんす。付き合いやしょう」
「かたじけない」
レムルスは、ヘチマの器に酒を注いだ。
「薔薇の追っ手がやる気を無くすぐらい、遠くが良いでしょうなァ」
「薔薇は私が対処する。気にしなくていい」
「したっけ、旦那……いや、旦那がそう言うなら、任せやしょう」
静かなレムルスの言葉であったが、ヘチマが心に決めた以上に、逆らい難い彼の決意を感じた。
薔薇の追っ手を思うと、食欲も失せるヘチマであったが、煮えた芋汁をすすると、衝撃を受けた。
「美味い」
長年一味の給仕を任されていたヘチマをも唸らせる、ペロの手料理であった。
ヘチマの感嘆に、二人の話を横で聞いていたムムが、どうだと言わんばかりに顎を上げた。

09-02 長旅

旅の準備は一日で終わった。
食料の備蓄は残りわずかであったし、身の回りの物以外で薬草など、必要なものが多いのはペロだけであった。
わざわざ資源の乏しい拠点の周りで準備に日を費やすよりも、旅先で現地調達をする方が効率が良いと判断した。
アメジストをどれだけ持っていくかを、ヘチマとレムルスが話し合ったが、全て残す事となった。
旅立つ際、ウズマキとペロとムムは、入り口を封印した拠点に向かって、しばらくの間、祈りを捧げていた。

ウズマキが斥候となって先を進み、通りやすい道を探して進んだ。
数度、本隊と往復しただけで、ムムが、レムルスに背負われていた。
「ムム、マスターに甘えるな」
「だって、ずっと檻の中で生活してたから」
そう言われると、気の毒に思い返す言葉も無いウズマキであったが、しばらくすると足をくじいたペロが、レムルスに背負われていた。

老人にしては足腰が強いヘチマは、行軍の足手まといにほとんどならなかった。
その上、ウズマキやレムルスより、その日のねぐらにすべき場所を見つけるのが上手かった。
「若い頃ァ、いろんな一味を転々としてた時期がありましてなぁ」
レムルスは、旅慣れたヘチマが同行してくれている事を、頼もしく思った。
ウズマキは役に立たないよりはマシだ、と思ったし、老人を完全に信用しているわけではなかった。

眠るための準備を終えると、ムムが当然のように一番上等な山羊の毛皮を持ち、レムルスの隣を陣取った。
「ムム、マスターはお前やペロを背負って疲れている」
「え、レムルス、疲れてるの?」
レムルスは一度首を傾げた後、首を振った。
「マスターも、ムムを甘やかすな!」

岩山地帯から森へ、森をさらに奥へ。
森の行軍は、特にペロを喜ばせた。
「すごいねぇ。緑がたくさんだねぇ。あ、これも食べられそう。あれも、あれも」
山菜、薬草や香草、たまに花をこっそりと、ペロは摘んでいた。
レムルスの歩調は、ウズマキとの行軍訓練と比べ、はるかにゆったりとしていたから、皆に疲れは無かった。

森の旅に慣れ始めた頃、ウズマキに油断があった。
草むらの茂みによって、地面の高低差に気づかず、崖から転落してしまった。
そこは身軽なウズマキであったから、可能な限り落下する速度を緩めるために土や草をひっかき、受け身を取り、命の無事を得た。
しばらく動けないままでいたウズマキが、ようやく顔を上げると、黒い仮面の男が居た。
「マスター……申し訳ない。あ、足を、くじいてしまった……かも」

旅先で食料を調達し、毛皮も集まり、全員が来たる冬に備えた装いを整えた頃だった。
透き通るように綺麗な小さな湖を発見した。
まずウズマキが、全身の葉と毛皮を脱ぎ払い、一糸まとわぬ姿で、勢いよく水の中へ飛び込んだ。
ペロとムムが、レムルスとヘチマの視線を気にする事なく、ウズマキに続いた。
「おぉ寒い。やはり、まだまだガキじゃのぅ。で、旦那も行かなくて良いのかね?」

朝、ねぐらから外に出ると、既に雪が積もっていた。
冬が来たのだ。
雪を初めて見たウズマキとペロは大はしゃぎで、雪合戦を始めていた。
ムムは何やら雪で小さな造形物を作り始めていた。
完成したそれは、一糸まとわぬレムルスの、精巧な雪の像であった。

ねぐらの洞穴から、ほとんど外に出る事なく、既に三日が経過をしていた。
外は猛吹雪となっており、五人の歩みは完全に止まっていた。
「旦那、この辺りの雪は悪くねぇな。農作をしとる村が、見つかるかもしれねぇ」
前向きなヘチマの言葉を、レムルスはありがたく思い、ムシロを編みながら頷いた。
ペロは薬草の調合を、ムムは雪の行軍に向いた革靴を作り、ウズマキはただ、槍を磨きながら、暇を持て余していた。

ようやく森を抜けた先は、春の平原地帯だった。
その広大さに、その風に、その光に、少女たちは目を丸くした。
「運がいい。旦那、持ってるね」
「ヘチマ殿、皆が頑張ったおかげだ」
「頑張る? 馬鹿いっちゃいけねぇ。あぁいうのは、遠足って言うんだ」

09-03 旅商人

「私はリョウ。いいよ、そっちは無理に名乗らなくても。可愛い子供3人と老人連れて、のっぴきならぬ事情があるんだろう?」
誰が、何処から来て、何処に行くのか。
知ってしまい、尋ねるものがいれば、報酬如何によっては答えねばならない。
平原にて出会った旅商人、リョウと名乗る女は、そう続けながら、レムルスの眼前に商品を並べていった。
「ヴェ」
「この子の名前はコー。良いラマだろう? コーだけは売り物じゃないからね」
「リョウ殿。せっかくの取引、申し訳ないのだが、エメラルドの手持ちが無いのだ」
「良い声だね。私を警戒してなければ、油断もしていない。研ぎたての石の剣なら、これかこれかな」
「リョウ殿」
「物々交換ではどうだい。背中にぶら下げてる革靴、私の目は誤魔化せないよ。熟練の職人に作らせたね。あのおじいちゃんかな」
少し離れた距離で、二人のやり取りを眺めているヘチマと少女たちへ、リョウは笑顔で手を振った。
レムルスは少し思案をして、4人をこちらに来るよう、手招きをした。
村に辿り着くまで、なるべく足跡を残したくは無いレムルスであった。
だが、既に十分な情報量はリョウに伝わってしまっており、彼女が友好的である以上、邪険に扱うべきではない、との判断であった。
「マスター、この女は?」
真っ先に駆けてきたウズマキが、レムルスに問うた。
「ウズマキ、リョウ殿と呼びなさい」
「リョウ殿。私はウズマキ。マスターの一番弟子だ」
「はは。めっちゃ名乗ってるし。よろしく、小さな弟子さん。私は旅商人のリョウ。この子はコー」
「ヴェ」
「リョウ殿、私の言葉がわかるのか?」
「正直、部分部分だけど、東の方で使われてる言葉かな。ウズマキちゃんは整った顔をしているね。大きくなったら美人になるよ」
「本当か……! マスター、リョウ殿は良い人だなッ」
相手の良い所を持ち上げてくるのは、商人にとって挨拶のようなものであったが、レムルスは余計な事を言わなかった。
「姉ちゃん、茶があるじゃねぇか。しかもこりゃ、甘茶の上等なやつだ」
既にヘチマは品定めを始めていた。

「ありゃー、村かー」
リョウは頭を掻いて、言葉以上に難しい顔をした。
一通り取引を終え、今は全員で焚火を囲んでいる。
「ねぇって事ァ無いじゃろう。こんなに恵まれた土地が広がっとるんじゃ」
「じい様。もちろんあるにはあるよ。でも、あまりお勧めはしないね」
「もったいつけやがる。これだから商人ってやつは」
甘茶を満足そうに飲みながら、ヘチマは毒づいた。
「リョウ殿。こちらで、理由を聞いても良いだろうか」
レムルスは、毛布代わりに使っている毛皮をリョウに差し出した。
「革靴をもう一足。できれば、革手袋も付けて欲しい」
商人の真剣な眼差しであった。
その分、彼女の情報は信頼できるものだと、レムルスには感じられた。
「承知した。私が今身に着けているのでよろしいか?」
「やった。もちろんさ」
「脱がなくていいよ。レムルス。今から私が作るから」
囁くような声で、ムムが提案した。
「え? 作るって。はは、ムムちゃん、だっけ? これは大人の取引だから、悪いけど子供は……」
ムムは、必要な材料と道具を広げ、革靴を作り始めた。
「ちょ、ちょっと、おぉ? おぉぉぉ……」
ムムの迷いの無い巧みな手さばきに、リョウの切れ長な目が、どんどん丸くなっていった。
「魂消た。名人は、じいさんじゃなくて、ムムちゃんの方だったんだね」
リョウは、村の情報について話し始めた。

「ツル」という名の村が、ここから北西に徒歩でひと月ほどの距離にある。
リョウは紙と炭を使い、詳細な地図まで書いてレムルスに渡した。
周辺の小さな村がツルに集まり、人口が千人を超えるほどの、とんでもなく大きな村になった。
問題は、「鉄」という資源の鉱脈を、村が管理している事だと、リョウは言った。
「不味いな。そりゃ」
「鉄の採掘は全く進んでいない。村に戦士らしい戦士はほとんど居ない。後ろ盾の略奪者も付いてない」
「不味いなんてもんじゃねぇ、最悪だ」
ヘチマは言い切った。
「リョウ殿、ヘチマ殿、私たちにもわかるように説明してくれ」
不安そうに裾を掴んでいるペロの気持ちを、ウズマキは代弁した。
「ウズマキちゃん。もしも、狼の群れに、羊の肉を放り込んだらどうなると思う?」
「狼どもの奪い合いがはじまる」
「そう。その村が、羊の肉だって話なの。しかも特盛の」
ウズマキは、納得したようで、もっともらしく頷いた。
「時間の問題だろうね。今は数の力で何とかなってるけど、村長がヌルすぎるのさ。つまり、戦いを嫌がっている」
ペロは、より不安になったようで、レムルスの方を見た。
「村長がなぜ戦いを拒んでいるのか、これからどうするつもりなのか、リョウ殿はご存じか?」
「なぜかは知らない。これからどうするかは知ってる。鉄の採掘を進めて、略奪者が来た時の交渉材料にするんだって」
「めでてぇわな。旦那、こりゃダメだ。わざわざ嫌なもんを見に行く事ァねぇよ」
「いや、行こう」
ヘチマはギョッとして、レムルスを見た。
「リョウ殿が言っている事は理解できるが、実際にこの目で見て、判断をしたい」
ヘチマは大きく息を吸い込んで「仕方ねぇわな」と、吐き出した。
それがリョウには、興味深かった。
「じゃあ、一つだけ、おまけを」
リョウは、地図に添え書きをした。
「これを村の者に見せたら、私からの紹介って事で、村長と会えるかもしれない」
「リョウ殿、かたじけない」
「いいのいいの。私だって女だから、いい男にはいい顔をしたいのさ」
レムルスにしなだれかかったリョウを、ムムは皮靴を作りながら、横目でジロリと見た。

10-01 試合

「マスター、村だッ」
最も目が良いウズマキが、村を一番最初に発見した。
「なんでぇ、ひと月じゃと聞いていたのに、まだ二十日も経っておらんじゃろう。本当にツルの村かえ」
自らの健脚を誇るヘチマであったが、ウズマキを追いかけて小さな丘の上に登った後は、その場にへたりこんだ。
何はともあれ、季節を二つ越え、旅の目的である村に、初めて辿り着いたのだ。
「まだ燃えとらんようじゃの。何よりじゃて」
ツルの村は、周りを広大な木の柵に囲まれていた。
住まう住まわないは別として、まずは屋根のある家で熱い茶でもすすりたいというのが、ヘチマの本音であった。
「わぁ。水浴び、できるかなぁ」
ペロが珍しく、草摘み以外でしたい事を口に出した。
「ペロ。私の頭、洗ってね。村を見てたらかゆくなってきた」
「いいよぉ。でも、あんな大きな村に入れてもらえるのかなぁ」
レムルスは、リョウからもらった添え書きを手にしていたが、実際にどうなるかは未知数であった。
ただ、状況はどうであれ、好戦的な村よりも、友好的な人々が多い村であれば、と願っていた。
「レムルスは、私の身体を洗ってね」
「もぉ、ムム、そういうこと言うと、またウズマキに怒られるよぉ」
「だって、私、頑張ったし」
「師匠、あれだけの村であれば、風呂に入れるかもしれません」
「フロ?」
ムムは、レムルスが師の命から逃れるために、話題を逸らしていると気づいていたので、素直に眉をひそめた。
「風呂とは、大きな木の桶などに、沸かした水を入れたものです」
「えぇ、そんなのに入ったら、芋汁になっちゃうよぉ」
「ペロ、火傷をしない温度に調整してあるから、大丈夫だ」
「じゃあ、レムルスと一緒に入る」
「師匠。湖の時も言いましたが、若い男女が、水浴びや風呂を共にはできません」
「はぁ、また見るだけかぁ。レムルスの身体、綺麗だから好きなのに」
湖のあの時、やはり感じていた視線はムムたちであったと、レムルスは今さら教えられた。
「見るのも駄目です。それは覗きと言って、村の法よっては罰せられる事もあるでしょう」
「面倒くさいね、村」
「多くの人と人とが暮らしていくのです。仕方がないのです」

「マスター、あれは、何をしているのだろう」
ウズマキは、柵の外で、数十人の男たちが、剣を素振りしているのを眺めていた。
「戦いの訓練だ」
「ふーん」
男たちは旅人に慣れているようで、レムルスらに気づいていたが、訓練を止める事は無かった。
むしろ、自分たちの勇姿をウズマキらに見せつけようと、やや熱がこもっているようにも感じられた。
その内、訓練の工程がひと段落したようで、皆の前で剣の型を披露していた若い男が、レムルスたちに近づいてきた。
「やぁ。僕は隊長のハッシュ。あなたたちは村にどんな用事なのだろうか」
「私はレムルス。取引が希望だが、可能であれば村長と話がしたい」
レムルスは、想定よりもはるかに友好的なハッシュに胸を撫で下ろし、リョウの添え書きを見せた。
「なんとまぁ、リョウの。あの旅商人は、元気にしてるだろうか」
レムルスの返事を待たず、ハッシュは遠くに居る門番へ叫んだ。
「おーい! 旅人が村長と話をしたいそうだ! 僕が案内をする!」
門番は槍を上げてハッシュの声に応えた。
「ハッシュ殿。かたじけない」
レムルスは丁寧に礼をした。
「レムルス殿。代わりに、というか、これは、もしよかったら、なのだけど」
少年の面影を残した隊長は、もじもじとして、ウズマキの方を見た。
「あなたの連れている少女の名前を、教えてほしい。自分でも驚いているのだが、どうやら僕は、彼女に一目ぼれをしてしまったようだ」

「はてさて、思ったより簡単に事が進んだと思えば、思ったより面倒臭い事になったのぅ」
ヘチマは特等席を陣取り、楽しそうに眺めていた。
ハッシュは剣を、ウズマキは短く槍を構え、対峙している。
「おぉ」
男たちはどよめいた。
それは、ウズマキの構えが、堂に入っていたからであった。
臆する事無く、ハッシュはウズマキの顔を見つめながら、ニコリと微笑んだ。
挑発とも取られかねないハッシュのそれを、ウズマキは静かに無視をした。
「旦那、ウズマキの嬢ちゃんにゃ、加減するように言ってるかい」
レムルスは無言のまま、上げた手を前に下ろした。
それは、試合開始の合図であった。
想定よりも使えそうな少女に向かって、ハッシュが慎重に重心を前にかける。
パンッ。
鋭く踏み込んだウズマキが、最小限度の動きのみで、ハッシュの持つ剣を叩き落とした。
「へッ」
ウズマキの動きを目で追えず、何が起こったのか分からないハッシュが、落ちた剣を拾おうとした時。
既にウズマキは、槍の先端をハッシュの喉元へ突きつけていた。
「悪いが、私は自分より弱い男の嫁になるつもりは無い。諦めてくれ」
レムルスが通訳をすると、ハッシュは肩を落とした。
しかし、頭を振った後には、気持ちの良い顔になっていた。
「驚いた。僕よりも強い君は、間違いなく、この村で一番強い戦士だよ」
「だってよ、旦那」
ハッシュたちの訓練は、ただ剣を思いのままに振っていただけで、実戦を想定したものではなかった。
ウズマキは、レムルスとの訓練と旅で、何度も死線を越えており、既に、ハッシュたちが逆立ちしても敵う事の無い実力を手にしていた。
「ウズマキ、僕は誓う。君のために強くなる。それまでどうか、待っていてほしい」
レムルスが通訳をすると、ウズマキはレムルスに向かって怒鳴った。
「マスター! 自分の女が他の男から口説かれているのに、さっきからその態度はなんなんだ!」
その言葉は、レムルスがハッシュに伝える事など、到底できなかった。